きらきらと輝くもの

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壱百満天原サロメの初配信から我々はどれだけのエモを受け取ったら良いですか?
たかが30分ない配信に求心力がありすぎる。

いちばん気に入ったのは「お洋服」のくだりで「インターネットに“インポートする”」という言い回しをしていて、こう言われたからこそ住民票だとか胃カメラだとかマイナンバーだとか、紛れもない「実体」を差し出されても動揺せずにしっかりと現実を受け入れることができた。
私は「それ」が大変気に入った。


私はいつも、奴らが“ソレ”をどう表現するのかということを見聞きしたときに喜びを感じている。
ヴァーチャルにいるからこそ、「ママ」だとか「親代わり」だとか「スタイリスト」だとか、「写真を撮ってもらった」だとか、そういう様々な言い回しが出てくる。その差異がすき。
彼女の身体は、インターネットに「インプット」されている。
壱百満天原サロメは、「アニメじゃないホントのことさ」。だからこそ「インポート」!


「すべてが生まれつき」であることを、「変」だと思っていること。
Vtuber は多種多様、古今東西、AIに始まってJK動物妖精悪魔なんでもある中に、「ですわ口調」の「縦ロール」の「一般人」が居たところで誰も笑うものはいないのであって、
けれども彼女はそれを、“変”であると自覚している。
『人生 生きていて私のようなしゃべり方をしている人は、日常生活では見たことがございませんわ』。

わたくしはどうしてこの世界に生きているのだろう、世界は間違っているのではないかと思っていたのですわ。

「わたくし」が「変」であるということを、世界へのその違和感を、無くすために取った手段が「Vtuberになること」なのあまりにも100万点すぎる。
その「アウトサイダーお嬢様」のソレに、私は私が人間であるということへの違和感を重ねて永遠にエモを受け取る装置と化してしまっても構いませんか?
これから先お前を信じるからと無駄に重い言葉を今なら言っても良いですか?

お前はサーチライトか?お前がでっけえサーチライトだよ。


お嬢様になりたい一般人、というテキストを目にしたときにそんな逆説的なことだったとは思わないじゃないですか。
まずその「生まれ」そのものに「メタ」があるっていう。
この「超一般人お嬢様」、ひとりでソレが完成している。なんということだ。あまりにも理想的すぎる。
メタであることがメタでないことを示している。じゃあなんだよ?現実だよ。
Vtuberはいつだって現実であるはずなのにみんながそれを忘れちまっているんじゃないのか?
私がいつも想像していたVtuberの「何か」がそこにあるんじゃないですか?ありますね。

『すべてが生まれつきですわ。』という最高のパンチライン

「私じゃなくて世界が間違っている」と声高らかに言っても良い(言わざるをえない)確実な道理がそこ(次元)にあることにシビれている。
なぜならだってそれは「生まれつきですわ」だから。

私生まれたときから、この世界にいるのは、なんだかおかしい気がずっとしていたんですのよね。
なんだかこの世界にいるのが間違っているような
どうして私はこういう風にこんな暮らしをしているのかしら
この気持ち、わかりませんか?