いとしの僕の「不安定」

日記もう少し気軽に書きたい
100こくらいのとりとめも無い考えならいくらでもメモがあって
でもそれらの考えを結びつけたりまとめたりなんかしていると全然1日経ってて、あとでいいかっていうやつになる。

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自分がよく行ってた場所がどんどんなくなっていくという話をさとみがしてたんだけど
なんかそれをさみしいと思う気持ちにあんまりピンと来ない気がして
たとえば中学生のときによく行ってたレコード屋さんとか古本屋さんとか吉祥寺の地下にあった頃の遊べる本屋とか甘い匂いのするタワレコとか、そういうのもろもろほとんど潰れているし
最近はライヴハウスがどんどんなくなっていってAREAとかすごくすきだったけどべつにそれがなくなったからといってなと思っていたり
なくなったことに対して感傷になることないかもしれん。
これあれかな、マンガとかアニメとか映画観てて共感することがほとんど無いやつと同じ種類のあれなんかな。分からん。
最後だから行くかとかないな としまえんにもめちゃくちゃ思い入れがあるけど別に行かなかったし、行かないわ。
残念とはおもうけど。
自分の思い出の中のそれとじっさいの場所のそれが結びついてないのかもしれん。
だってそこで出会ったいろいろたちを追体験することは絶対にできない。
変な感じがする

↑ということを数ヶ月まえに考えていた

というような文章ならいくらでも転がっているので、こういうのを、もっとさっさか投稿するかなと思う。

最近はずっと疲れてて、きょうもなんもできなかった。
最近はずっと疲れてて、とかいうの毎回書いてませんか。

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コウくんの「NEEDY GIRL OVERDOSE」の配信があまりにも良かった。
ライバーがやっているたびにほいほい観に行くけど、いつもなにかすごいもやもや~っとしたものがあって
多分それは「配信」という形態だからなんかなあ。ゲームの内容がもやもやするわけでなく。配信者に対してもやもやするわけでなく。
独特の、なんつうか、クラスメイトに、自分がすきなものをバカにされている現場にでくわして何も言えんときみたいな空気を常に感じていて(実際そういうことではないんだけど、なんかそれに似てる感じ)。
みんな自分が「配信者」としてゲームをしている感じがしたけど、卯月コウはなんか「そう」じゃなかったのも良かったのかもしれない。
たとえば裏アカになんでも書いてしまうあめちゃんに対して、そんなこと書くなよ~とか裏アカはキケンだからやめときなよ~っていうのがよくみる反応で、
コウくんはそういうのを観て俺にベタぼれじゃねえかよ!やったぜ!ってなってて、そういうのが良かった。
オタクに対してもメンヘラに対しても解像度が一段も二段も高いのも観やすかったかもしれん。
あめちゃんのJINEに対して「これはマジでLOVE FOREVERなんだよな~」ってなってるやつ、
お前がブロンに対して他の人よりも少し深い知識を「披露」してくれることにも同じように「おれたち」は「LOVE FOREVER」っていうわけなんだ。
そういうことなんだよ。
最後に出てきたゲーム側の言葉に対しての反応もすごく良かった。

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あのさ~小説読んでて、こういう↑「***」みたいな区切りをどう書いてるかみたいなのが結構気になるよね作家によって違うのが。この人はいつもこれだよねとか。思うよね。

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この生活の虜になっちゃうという歌詞本当に良くてずっとこれのターンになってる
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