戻れない記憶の裏側をみつけた

日記の書き方を忘れた。
最近のこと思い出して書いておく。日付は分からない。

10月某日

「おすすめのマンガ」を知らないひとたちに聞いた。
こっちがきいたくせに申し訳無いんだけどみなさんあんまりマンガを読まないんだなというラインナップだったので逆にすみませんとなった。
久しぶりになんかそういう感じを味わった。
というか、自分はTwitterにどんなものが好きとかも何も書いてなかったのもあって、それはそうだよなあと反省した。
というか、多分TwitterのTLにいる誰よりも自分は漫画を読んでいる気がしてきたのでなんか急に恥ずかしくなってきた。すみません。

どんなマンガがすきだとか、普段どんな配信をみているだとか、をもっと書いた方が良いのかもしれない。
配信はさまざまなものをみているとは思うのだけど、Twitterでもここにも、まして友達に言ったりとかもあんまりしてないかもしれん。
みなさんTwitterとかに素直に感想を書いているのをみるとなんか、なんかすごいなと思う。
「なんかすごい」とかいう感想意味分からんけど。自分も書いたほうがいいんだろうなあ。なんか。書かないけど。私はなんかすごくないし。
マンガを読んだり配信をみて思うことっていくらでもあって、でもそれは自分だけが分かれば良いなとつい思ってしまうね。
あと、自分は性格があれだと自分で知っているので、あんまりTwitter自体呟かないようになってしまったんだった。
他人を傷つけたくはないけど自分を変える必要もないと思うので。すみません。

もっと無差別に本当にしらないひとをフォローして正体がわからぬままフォローし続けていたころのTwitterの感覚に戻っても良いような気がするけどもうそういう時代ではないのかもしれない。
不自由さがだんだん目につく場所になってしまった。インターネット自体が「珍しいもの」や「すごいもの」ではなくなってしまったからだと思う。
レイチェルもいつか言っていたけど、別に友達だからといってフォローする必要もないしフォローしてなくても友達だしみたいなやつ。自分もそういう運用なんだけど、世間はどうも違うらしいのでそこに誤解が生じる感じがどうも解せない。まあ単純に向いてないんだろう。私が悪いです。
インターネットにないものはこの世界には存在しないことと同じである。そこになければないですね。
はてなもすっかり人がいなくなった。みんなnoteに行ってしまって、何もないのに何かあるようなもっともらしい文章をせっせと書いている。もっとみんな自分に何もないことを認めた方が良い。
なにも無いけど熱だけがあってそれをもてあましてるけど何もならないことが分かっているようなそういう「日記」を読みたい。
私は何も知りたくない。ただ日記が読みたいだけなのだ。
おまえたちはどこへ行ってしまったのだ。

10月某日

シアターギルドで映画「うずまき」を観に行った。
シアターギルド初めて行ったがもう行かんな。なんとはいわんが、もう行かんなと思います。
「うずまき」観るのかなり久々だったが初音映莉子さんが好きなので初音さんがベッドでアルバムを眺めるシーンを何度も巻き戻して観ていたことを思い出してなんだか知らんが少し恥ずかしくなった。
当時観た印象と変わらなかった。原作の「不自然さ」が損なわれず、全体に雰囲気があり良かった。あと記憶よりも佐伯日菜子さんがかなり浮いていてすごいと思った。この佐伯日菜子かなり良いぞ。
映画久々に観に行ったな
朝起きて誰かがツイートしてる映画の名前で検索してそれを観にいくというやつ最近やってないな
どころか家でもあまり映画みてない。なんかダルくて。
映画館行きたい

10月某日

白井晟一やっていたので久々に松濤美術館に行った。
松濤はハイレッド・センター観に行って以来なのでかなり久々っぽい。すきな建物のひとつだ。
外観も良いんだけど中身が好きで、たてものの真ん中がくりぬかれているところが良い。
もっとこんなふうな建物がたくさんあったら良いのにと思うけど、時代という感じがする。時代だ。

10月某日

Kが最近ストリップショウを観るのにハマっているというので浅草まで連れていってもらった。
全体おもしろく拝見した。
女性数人が入れ替わり立ち替わりでステージに現れて音楽と共に踊るというものだった。1人ずつにテーマと見せ場がある。各々だいぶ違っていて面白かった。
身体の見せ方、筋肉の付き方が多様なことが特に面白かった。舞台と花道があり、花道の先が円形になっていてそこが回るような仕組みになっている。
近くよりも引いて身体全体でみたときのほうが良かった。バランスの良さが皆違うことが美しくて良かった。
Kが、観ると自分も強くなったような気がして良い、ということを言っていて、それはかなり「分かる」と思った。カンフー映画を観たあとのような感じだろう。「強い」という言葉がかなりしっくり来た。
私が観に行った演目はいつもと毛色がかなり違うらしく、能を元ネタにした、少しホラーテイストの演目だった(AvelCainみたいな演目があるんだけどさあ!という誘われ方をされたら行かないわけにいかない)。そう話を聞くだけでかなり面白いものだと分かるが、実際みてもかなり納得した。
クロバットに足を広げながら長い経路をごろんごろんと動き回る人が格好良くて面白かった。世界観が格好良さに振り切れており、女性のファンが多いということで、分かると思った。
だが一番良かったのは雨宮衣織さんという方で、彼女だけ明らかに空気が違うのが良かった。
あとで聞いたら彼女だけ自分で内容をプロデュースしているらしく、なるほど拘りが強いわけだと思った。
まず花瓶を持って出てくるのも面白いしなぜかステージの真ん中に扉があることも面白いし、なによりおもしろいのは数分に渡って、ステージの端にある花瓶にスポットライトを当てたまま、逆の暗がりでじっとりと時間をかけながら服を抜ぐ演出がおもろかった。こういうので、良いのか?と思ったが、やはり賛否両論あるようだった。私は、いいぞと思った。更に、他の人のように見せ場が分かりづらく、地味で、眠くなるような、フランス映画を観ているときのような空気があって、かなり良いですねと思った。
雨宮衣織さん気になってTwitterみにいったらヘッダー画像をマイブラのジャケにしていてすべてを理解した。すべてを理解しました。

11月某日

むぎちゃんが「ウィットにとんだ会話ですね」という言い回しをしたときにその言い方おもしろいねという感じのことを言われていて、なんかその空気知ってるってなった。
自分の中では自然な言葉だと思って使ったときに他人にとってそれが不自然だったときの具合の悪い空気。

11月某日

藤想のマンガがなんかバズっていた。ちょっととかじゃなくて本当にたくさんの人がみていた。
いずれこうなるときが来るといういずれが今だったというわけだ。良いことだと思った。

11月某日

雨森小夜さんがフジファブリックの「TEENAGER」を歌っていて、ああ分かりますねとなった。
久々に聴きたくなった。
「CHRONICLE」というアルバムがすきだった。
当時周りがフジを好きだったので私もたまに借りて聴いていたんだけど
「CHRONICLE」が出たときにたしか、「どう思うか知りたい」と言いながらSちゃんが貸してくれた。
おいこれめっちゃ良いじゃん!一番良いじゃん!と言って返したら、「私は分からなかった」とSちゃんにもMちゃんにも言われた。
いやこれめっちゃいいじゃん。と思った。むしろこのアルバムの次のアルバムがめちゃくちゃ楽しみだなと思ったのだった。絶対めちゃくちゃ良いか全然良くないかのどっちかだなと思って。
こんなおっかないアルバム作って次どうなるんだろうと思った。志村が怖かった。元々変な音楽を作るバンドだなとは思っていたけども好みというわけではなかった。だからすごく驚いた。明らかになんかあれで、なんかしんないけどかなりうれしかった。
いつになるかわからないけど、次のアルバムをかなり楽しみにしていた。
でも、そのあと志村はいなくなって、それでもフジファブリックフジファブリックのままだったけれど、この次のアルバムもそれはそれで良いものだったのだけれど、私が聴きたかった「次のアルバム」が出ることは永遠になかったんだった。
ということを思い出した。

最近また具合がしんどくなってた
外に少しずつでているからかもしんない。普通に仕事つかれてるけどそれはもう今に始まった話ではないし。
先週は絵をかく気力がなくてYoutubeだけ観た。この常にしにて~っていうやつはいつ治るんだろう。
なぜかみんな今blenderをやってる。みんなっていうのはみんなだ。ずいぶん前にえさしかがなんかやってたような気がする。
げんだいに生きるには、Twitterをじょうずに使って意見を言い合い、Youtubeに気軽にコメントをして健康になり、blenderの勉強をして満たされたり、Discordで詩について語り合ったりしながら、ウィットにとんだ会話をするのが正解なのかもしれない。
それでもいつも物足りないなと思うのだろうけど。