ハッキリと目に見えていても手に取る事はできない

VTuberの画像を保存するとき私はいつも「絵」のフォルダ配下に入れて果たしてそれで本当に良いのかといつも迷う。
人生を動画にして投稿している人たちがいて、画面の中で二次元の存在として動き、ゲームや雑談で配信をしている人たち。
それは「絵」なのか、「絵」じゃないのか、いつもちょっとだけ迷う。

最近はTwitterで絵を投稿している。
休日狂わないのに丁度良いのが絵だったのでそれをやっていたが、今はそのもの自体が面白くなってきたし、また、身体にすっかり馴染んでしまった。
それまで「二次創作」そのものにまったく興味がなかった。興味で言ったら今もそこまで興味があるわけではないと思うが、馴染みにはなった。
「二次創作」がというよりは、「Vtuberの絵を描くこと」に興味があるのかもしれない。
Vtuber」を「日常」に置くというだけで超現実が表現できるのだからそんなに良いことはない。
確実にそこに存在しているのに存在していないという虚構が自分の描きたいものとマッチしたのだ。
なんとなく描いてみたら、存外しっくりきたというわけだ。
それを別にTwitterに載せても載せなくてもいいんだけど、載せてみたらと言われて、そのまま習慣で載せるようになった。
「二次創作」っていうのは、「創作」ではないと思っていたし今もまだ思っているので、
私のやっていることは「絵を描く」ことだとはやっぱりまだ思えんが、分からんな。なんだろう。「趣味」でいいか。

「推しがいるから今日もがんばれる」だとか「ここが居場所なんだ」とか助かるとか助からないとかそういう大層なものではなくて、ただの「生活」の一部のような、そういったものであり、
全身全霊をかけて観るようなものではないし、筋肉痛にもならないし、声が枯れることもない。
Vtuberの配信を観たり絵を描いたりすること、「趣味」というよりも「生活」と言ったほうがしっくりくる。
ただそこに存在している。

多くのリスナーは、ハッピーさとお手軽さとそれと同じくらいの真剣さが同居している。
良くも悪くもインターネットの文化だなというのを感じる。うらやましさとか、狭さとか、色々なものを感じて、すごく興味深い。自分と違うものは全部おもしろい。
独特の文化というのがあって、そういうのをいつも客観的に眺めてしまう。
いつも、バンギャにしろ、その渦中にいてさえも、自分だけが何か異質なもののような気がして、客観的に捉えようとしてしまう自分がいる。
だって、私はいつもそこに居ないような気がする。
人生かもしれん。


最近は全然ブログを書いていなかったな
考えていることならいくらでもある
毎日いくらでも考えているが、それを言葉にして出すかどうかは別だ。
日記を書かなくなったのはいろいろあるが、
まあいろいろある めんどうくさいなというのが百割かもしれん。

自分の人生は他人ごとのようだし世界のあらゆる出来事について八割くらいはへえとかふうんみたいな感情しかないことがおそらく、
おそらくだけどそういうのが、多くの人間共とコミュニケーションをうまくとれない原因だろうと思う。
べつにいいだろうがそれで。
めんどくせえよ


また少しずつ、何かのできごとや考え事を書いていくほうが良いような気がしてきたのでなんとなく書いた。
コウくんが「じじいになるほど主張したいことってなくなっていくんだろう」というようなことを言っていたのが結構ずっと心の片隅に残っていて、
そうかもしれんと思いつつ、いや元々、元々だしよ…と思いながら、度々、Twitterやブログをこうして書いた方が良いのかもしれないなと思うこともある。
実際書くことはほとんどないけれど。