虚構の現実

ARTiCLEARの新譜が出た

音が異常に好みすぎて1から100まで好みなんだけども、こんなことあっていいのか?と思うくらい良かった。
今聴きたいものはこうだという感じだった。
去年は意識的に音楽をあまり聴かなかったから、なんというかすごくうれしい。

そんで『異形の夢想』で始まるの、すごく良い。「今」が全部つまっているところが良い。
なによりこの「新しさ」が良いと思った。新しい曲が聴けるんだという喜びがあった。新しいバンドの新しい朝が来たという感じだ。
「新しい曲」だと思った。
ここでいう新しいっていうのは、今までに無いものという意味ではなくて。儿さんが組んだバンドとして、という意味。
この曲がいちばん、今の儿さんじゃないと歌えない気がしてすごく、なんというか素直に感激してしまった。
好みとか超越した感じがあって良かった。
もう100かいくらい聴いてるけどいつまでもファーストインプレッションの消えないキラキラした曲で好きだ。
儿さんは特にこのコロナ禍で、自分のできることをできる分だけやって行動をしている人のひとりで、かなり早い段階でYoutubeで曲を発表したりしていてそういうところがアーティストとして尊敬できるマジ。
そんで、そんな中で作った曲だというのがこうして形になっているのがよくみえて、この素直さが良いと思った。

単純な好みでいうと『結び目』が圧倒的にすきすぎる。
9月のライヴを配信で観たときも思ったけどわたしは儿さんの「こういうところ」がすきなんだよなあ~~~~。
綺麗な曲がすきだ。

『蒼き溟渤』はライヴで最初みたとき、ウワアアアキタコレウオオオオオコレダアアアみたいになったやつで、、なんというかそうとしか言いようがない曲なんだけども、こうしてCDで聴くともっと冷静な良さがあって、ウオオというよりはもっとクルゾ…クルゾ…みたいな、ジワジワにじみ出てる感じ。語彙力の限界がここにある。
自分の中では『異形の夢想』とは対照的な良さがある。「っぱコレだね」って感じ。ハイ!って手を挙げたい。はい!これ私すきですが!みたいな。
私の信じた儿だ!おれたちの樹だ!ここにいました!みたいなソレです。
語彙力の限界。

『強欲の水槽』疾走感と爽快感があってすき。身体によく馴染むって感じ。
いやこのアルバムずっと樹のターンじゃねえか!ありがとう。

樹さんはよく自分で「俺は売れそうな曲しかつくれねーから」と嘲笑まじりに言っているんだけど、樹さん、それは「才能」って言うんですよ?
私はそういう、「売れそうな曲しか作れない樹」と「独自の世界観の儿」が2人ともいるバンドだからすきなのである。どちらが一つでもだめだと思う。

「バンド」の音楽には「文脈」よりも「瞬間」であって欲しい。
「文脈」は大事だけれどスパイスであって欲しい。今はもっと根源的な感動が欲しい、と最近は特に思っていた。
そういう気持ちが去年はずっとあったから、まさに聴きたいものだなと思えるものだったので良かった。
文脈があって今があることが大事なのは前提として、そういうものをすべて越えて、出来る音楽があるのだと信じていたい。
自分がライヴに行けると思える日が来るのが楽しみになった。


言葉にすることがうまくできなくて、なんとなく勢いで書いたものを何となく投稿しておく。