夜と朝のあいだに

息苦しさ
毎日40回くらいは世界中の何もかもがくだらないように思えてしまうけれども
そうでもないときもある
ような気がする。なきにしもあらず。ないこともないとは言えない。
それはみんな同じだと思う。
私も生まれたときから、うまれる前からずっとそんなことをくり返しているから、それはきっとあたりまえのことなのかもしれない。
居心地がわるくて、ときどきこうして何かを書いてみたりするけれども数秒後にはどこかへ消える。
色々なことを考えていてもそれらを言葉にして書くとすべてバカバカしくてどうでも良くなる。
大概のことがどうでも良いし何でもいいんだけど
なんでも良くない振りを少しでもしないとやっていかれない
少しだけでも良いからなんでもないことがある気にならないと暮らしていけない。
そんな風をしなければならないので生きるというのは随分面倒くさいことだと思う。
生きるのにはよく飽きてしまうけれども、どうにかこうして今までやっているのは、死ぬこともまた同じくらいに面倒くさいことだと思うからだ。
ような気がする。
本当はなんでも良い。

ずっと何も言わなかったらなんも言わない人みたいになった
最近少しずつ外に出ているけれど気が狂いそうになる
世界中の情報量が多すぎて発狂しそう
インターネットを一日眺めているよりもはるかに膨大な量の情報が溢れていて非常に疲れる。
どうして空は青いのか どうして夜は青いのか
お洋服についた小さなホコリを気にしたり、他人の家族が騒ぐのを無視して歩くことに、気が狂わないでいられない。
私は、自分の着ているお洋服の布と自分の皮膚との間の空気に全身の気をつかいながら、残りの頭では、次は右足を前に出して、その次は左足を出す、というようなことを常に、必死に、考えなければならないのだから、生きるというのは本当に面倒くさくてたまらない。
リモートワークではなくなったら、いよいよまた毎日電車に乗らなければならない。そして私はその苦痛を、考えないフリをして過ごさなければならない。
それを考えるだけでものすごくしんどい。一生リモートワークが良い。
私は、「Twitterに死にたいと書く人」だけれども、それってあたり前だ。
今すぐ命の電話にコールしなくっちゃいけないみたい。
不自由がすぎるしとても疲れた
居ない仲間を火星でひたすら探し続けることの方がよっぽど向いているのかもしれない。
人間のことを考えるのに飽きてしまった
誰かが思っていそうなことをあらかじめ考えておいて、それから適切な場所でそれらをアウトプットするのに飽きてしまった。
世界中に雨が降ってそのまま止まなければ良いと思う。
今はそんなふうに思うし、思わないような気もする。
そんなふうに「なにもかもが嫌になってしまった」だの「世界中のすべてがくだらないように思う」だのというくだらないことを今後一切思わないでいさせて欲しいのかもしれない。
ような気がする。
本当はなんでも良い