喜び過ぎず悲しみ過ぎず、笑って挨拶 握手をしよう

今朝は着る服が無くてこまりました。
黒い服ならばたくさんあるのに、こういうときに何を着て良いのか分からなかった。
上下で、ようじやまもとのお洋服を着た。
おばあちゃんはお洋服にこだわりがありますから、高くても良いものを着なさいといつも言っていたので、良い服、って感じのやつを着た。

棺桶にいれる前になんかいろいろあった。手や足を拭いてあげてくださいというので、よくわかんないけれどそうした。
私が拭いているときに、踵も拭いてあげてください、というので上げようとしたら随分重くて持ち上がらなかった。
21グラム分軽くなったはずの身体は、意思が無いというだけでこんなにも重くなる。
あんなにむくんでいた右手も、カサカサだった左手も、おんなじくらいぶよぶよになっていて、左右を比べてぶよぶよしてみたけれどやっぱりどっちもおんなじくらいぶよぶよになってた。ヘンなの。
化粧をしていただいたが、なんだかいつもと様子が違うからなんか変な感じがしたけれど、おじいちゃんは、良い顔をしているって言っていた。私は、苦しそうだけれど生きて私の名前を呼びながら帰らないでと言っている顔の方がすきだなー。
おばあちゃんは最後に着せられていた服は緑色で、そうみどり色で!それは今日はもう脱がされてたけど、棺桶の中に一緒にいれた。
あとお花がとてもすきなので大量のお花をこれでもかというほど入れた。花に埋もれて眠っている。おばあちゃんは薄い紫色がすきなのでその色のお花かもしくは黄色いお花が私は入れたかったのにピンク色のお花を葬儀場のひとが無理やり渡してきたのでヤだった。
みんなが、おばあちゃんは私のことがいちばんすきだったからなあと言っていて、そりゃあそうでしょう私だっていちばんすきだよ母と同じくらい。

写真を抱えて霊柩車に乗る係をしたが、霊柩車はとっても普通の車で、なんにも面白くなかった。
写真の中のお洋服も棺の中に入れた緑の服を着ている。
道中、水族館という文字が見えたので、私はマグロの水槽の事を考えていたら、一緒に車に乗っていたおじいちゃんが、
元気なときはこの辺をよくお散歩していて、そしたら道端にマグロが落ちていて、なんやかんやあって持ち主がマグロをとりに来て、そのお礼にマグロのお刺身をもらったというお話をしていて面白かった。
マグロが道端に落ちているんですよ。

そして火葬場は近代的な感じで、なんかエレベーターの扉みたいなとこに棺桶を入れて、ピッてして遺体を焼いた。
9の番号が付いた扉だった。
このときついに耐え切れなくなったのか、母親が一等泣いていた。なんかくやしかったから、母の背中をドンと叩いてやった。
何時間かしたらまたピッてして扉が開いて、ほかほかの白い骨が出てきた。骨がところどころ桃色になっていて綺麗だった。それは病院のお薬のせいだと言っていた。
3の番号の付いた部屋に入ってお骨を拾った。
二人でお箸でお骨をつぼに入れるときに、いちばん大きいのにしようって私は言ったけれど、母が「いちばん痛そうだから、これにしよう」って言って赤黒くなっていた骨を選んだ。おかあさんだなあって思った。
今はツボが随分大きいんだなとおじいちゃんが言ったら、骨を拾う係のひとが、地方によって大きさが違うというのを教えてくれた。なるほど。
ツボから溢れそうなくらいたくさんの骨が入った。

骨をおじいちゃんのおうちに置いてから、帰りに親戚がごはん食べに行こうと言ったが母が私が風邪気味だというのを利用して断った。おばあちゃんの方の家族たちはみんな大人しいのが多いが、おじいちゃんの方の家族はよくしゃべるから、良い人たちだけど疲れる。

私がおいしいものがすきなのはおばあちゃんのせいで、おばあちゃんは入院中も、やれあそこのフカヒレが食べたいだとかあそこでウナギを買ってこいだとか言って、病院のおいしくないごはんを一切食べようとしなかった。
そんなだから、私たちもおいしいものとかお洋服だとかに変にこだわってしまうんだと思う、と母と母の弟が言った。何事にも固執してしまう家系なのだ。
おばあちゃんには息子があともう一人いるが、来なかった。彼はいろいろなひとにお金を借してくれと言いまくってそして返さないし母親の葬儀にも仕事だからと言って来ないような屑なので本当に屑。私は、ひとが何しようとどうでも良いけれども、彼のことだけは本当に本当に屑だから二度と会いたくないといっつもいっつも思う。あれは家族では無い。そんなことはまあどうでも良い。

おばあちゃんは入院中たくさんのメモを残していて、それは何日の何時に誰が来たとか何を食べたとか。
カレンダーにもたくさん書いてた。私がブログで毎日昼飯を記録するように、彼女もまた食べ物や体調なんかをカレンダーやメモ帳に残していたんだな。
私の名前の横に「ウェブデザイナー」って何回も書いてた。忘れないようにといろんなページにいっぱい書いてくれてた。
私が行った日のメモにも「ライブへ行くというので2時頃に来て2時55分頃帰った。手があたたかかった。」とかそういうのが書いてあって、日を増すごとにどんどん文字が読めなくなっていって、最後の方はほとんど読めないけれど、誰かに当ててごめんねとかありがとうとかそういうのが書いてあった。
私が最後会ってそっと帰ったあとは1時間ほどしてからすぐ死んだそうだ。
私は絶対泣かないで笑顔って思っていても病院でたくさん泣いてしまったので、だから今日は絶対に泣かなかった。天井とか桜並木とかが良く見えた。
喜び過ぎはしないが悲しみすぎもしなかった。


帰りの車で母がバンギャルラを聴きたいというので、「えんそくの思い出」を聴いていた。
母はじょいさんのギターが一番すきだなあって言ってた。「じょいさんはかわいいし、良い人なんだろうなあ」って言ってた。「ジョーさん」じゃなくて「じょいさん」って言ってたのがうれしかった。