君の誤解はそれでいい

今日は
「根岸君にシド・ヴィシャスが乗りうつった」ときの真似をしたけど
みぞぞにわかんねえと言われてしまった。

胃がいたい
急にこの世の全てがくだらないってことを思い出して全部つかれちゃった
しんどい
母性が足りないのでお母さんバーガーを繰り出せない
私の砂場はどこにもない

死はどこにでもあって
どこにもない
生まれる前は死んでいて
わたしたちはきっと生まれる前は死んでいて
それからまた過去に戻って未来をずっと探すだけ
過去のなつかしい音楽を探しているだけ
どこにもないなら
どこにもないんだろう

早く眠ってしまうことだ

捜すフリだけしていよう

土曜日の夜は東高円寺の公園でピクニックをした。
家にいてもしんどいかと思い、誘われたので行った。
人間的行為すぎて人間未満の私には非常につらいものもあったが
いたみさんと前よりもお話できてほっとした
いたみさんは私のような人間に対してもわけへだてなく接してくれる感じが大変良いなと思う。
いわふち君もおもしろくて気に入った。
私は本当に何もない人間なので何もないと言ったら嘘ついてるみたいになってしまってごめんと思った。
非常につらい気持ちになってしまったのでにゅろたんに申し訳無くなった。
わたしは、ああいう場で「自分のすきな音楽」を躊躇なく流せる人間を尊敬するし、
躊躇なくYESかNOで答えられる人間に感動する。
人間というのは複雑なので、ひとつの事柄の中に 「そう」な部分と「そうじゃない」部分がある。
何かの問いがあったときに、「そうだ」と言うのはたやすいがそれは私にとっては苦痛で、そういった小さな「本当じゃないこと」が積み重なって、置き去りになっていくことがしんどい。
だからいつも「曖昧な答え」になってしまう。「そう」と「そうじゃない」を長々と説明するほどの時間は私には与えられていないからだ。
たくさんの人間の意識が私の解答に集中していると感じるとき、どうしたら早く終わるのかしか考えられなくなってしまう。
そうしてまた「本当じゃないこと」が積み重なったまま、どんどん自分で自分を置き去りにしていく。
少人数でない場所では、そうして言葉を発するたびに呼吸が浅くなっていく。

人間を乗せて移動する箱に乗って帰るのがしんどかったのでとりあえず中野までひとりで歩いた。
歩いて良いことは特になかった。