バイバイ僕らの君と僕とが信じた何か

憂鬱がすぎるし透明な存在の僕だから昨日はライヴに行かれなかった
会場前でお別れして帰った
死ぬほど泣いた


私は私のルールの中で、どうにか生きていかないといけないようなので、とりあえず考えると、創作活動をしたら良いように思うしそれを再三勧められるが、何かを作りたいという「気持ち」はあるがそれだけで、その“何か”が降ってくることが今の私には無いように思う。
どうしても何かを作らなければいけないという衝動は、またわき上がってくるのだろうか
もうここ数年はずっと何かを作っていてもただの穴埋めでしかない。からっぽだからなにもない、何も無いから細かく書き込む作業が好きなのかもしれない、ひとつひとつのオブジェクトに意味を結びつけなければ済まないのはそのためかもしれない。
生涯で、納得のいく作品というものは一度も作ったことは無い。


私は、はっきり言って生きている必要がどこにも無い。
私が私である必要もどこにも無ければまた死ぬ必要も無い。
死に必要とされていないから生きているだけだ。
これはどうやら生涯治らない「病」のようだが、私は自分を病んでいるとは思っていない。
これから先も、何かで満たされるということは絶対に無い。
人間に必要な情動が少し足りないのだというのは分かる
哀愁だけを常に追ってしまうようなところがある。
ライヴに行くときだけが私は生きている気持ちに少し近づけるのだ。

そして、大概の人間はみな、そんなに丁寧に生きていないということも私はよく知っている。