人は変わるもんだよ

BEYOND BENTO BOX ~ボクラの5次元弁当箱~

BEYOND BENTO BOX ~ボクラの5次元弁当箱~

えんそくたちの「ベストアルバム」に対する考え方がいまいち分からないんだけど(言及してくれないから)、15年を総括したというよりは、あくまで「今のえんそく」はコレだというものになっていた。
あとは、シングルだけでアルバムに入っていなかったり、再録したいものが中心に入っているので、いわゆる「ベスト」とは少し様子が違うかなあとも思う。
ただ、ベストじゃないかって言われたらそうでもない。とにかく、「今のえんそく」はこうだというのは確かだ。
なのでこれが、「ベストアルバム」って定義で良いのかはちょっと分からない。


新曲「BEYOND DEAD WORLD」からの「ボクラノ、ハコブネ」という流れで始まるのはすごくよく分かる。
えんそくに転換点があるとするならば、ハコブネと赤ブリだと私は思う。
古いことは分からないので、今の私が観ている範囲で感じるのはやはりそこだと思う。
いつでもぶうさんが歌いたいのは、「ボクラノ、ハコブネ」と同じことだったんだけれども、
最近は特にそこに回帰しているというか、「えんそくらしさ」は最もここにあるんだなあとしみじみ思う。
しかし違うのは、
「誰もが息を吹き返した」
「今は答えがないだけ」
今のえんそくの「柵」は、以前歌っていた「こちら側」のニュアンスとは少し違うように思う。
誰もがみんな柵を越えられるし、ハコブネに乗れるはずだと言う。
ぶうさんはずっと、“ハミだしたボク達”の歌を歌っているのは変わらない。
ただ、その範囲が当時よりももっとずっと広くなったというだけだ。
それを「裏切り」と言うのは違うが、それを「裏切り」だと言うのも分かる。


そうやって聴くと「だいたいマルコム」は、
当時の音源から感じる「怒り」みたいなものがまったくない。
いわゆるリア充に対する見下しや単純なむかつきみたいなものがあまり感じられない。
なんというか、今もリア充に対する憎しみみたいなものってあるんだと思うんだけど、それってあんまり関係ないよねっていうのが今の感じ。
もはや曲の良さだけで成り立っている感じがすごい。
逆に曲が良いことの良さが浮き彫りにされいていてすごい。
特別に曲が良いって思ってなかったけど良い曲だったんだなあと改めて思った。
これだけじゃなくて別の曲も全体的にそう思う。


「コドナチャダルド」は特別な曲だと思う。
私もだいすきな曲のひとつだし今聴いても、いつ聴いてもドキドキする。
強くてニューゲーム。えんそくの思想を代表する曲を選べって言われたらまっさきにコレって言うかも。
当時の音源の「コドモ」くささというよりも、「ぶうさん」でしかない感じがする。
コドモの王様を演じているぶう、じゃなくて、ぶうさんそのものだ。
追いついたというか。ぶうさんがぶうさんの曲を歌ってるなって感じ。
気付かないうちに、ぶうさんってぶうさんになったんだなと思う。いやずっとぶうさんなんだけどさ。
こうして再録で聴くと、ぶうさんじゃんってなる。
超語彙力の無い文章だけどこの感じはぶうギャなら分かるはずだしこうとしか言いようがない。
えんそくを知らない人がこの文章読んだら多分わけ分からないと思うけど、えんそくを知らないひとはこれを読まないと思うので置いていきますが。


「正しい世界の終わり方」を新録するとは思わなかった。
あれは、完成された、終わったことだと思っているから、ライヴでも一生やることもないと思っている。
これをライヴで聴きたいという人が大勢いるのは知っている。
私は、この曲をこの先ライヴで聴きたいとは1度も思わない。だいすきな曲だけれども、今ライヴで観たいとは思わない。ただ別にやってほしくないとも思わない。ただ、違うかなってだけ思う。
いまは「物語性」を大事にするよりも、「曲」の良さを大事にしたいのだろう、と思った。
去年の活動休止前のライヴ「夢遊病者の国へ」を観ても思ったのだった。
えんそくには良い曲がたくさんあって、それをただ聴きにきている人がたくさんいるのだと思った。あたり前のことなんだけど。
私にとっての「正しい世界の終わり方」は、えんそくという世界そのものだった。
「正しい世界の終わり方」という「思想」があって、それを知ってからの、「狂い咲きハルマゲドン」という、長い長い“連載”を読み解いた私にとっては、「夢遊病者の国へ」のようなライヴはただただ苦しかった。
えんそくの作り出すお遊びや「無意味」はすごくすきだが、
だけど、同じくらい、奥に隠されたガチガチの「意味」がだいすきなのだ。
意味で塗り固められたものが取っつきにくいことはよく分かるが、それはそれとして裏で続けていれば良いじゃないかと思うのだ。
ただひっそりと、続けてくれれば良いだけなのに。
したたかに、ずっとそれが続くのだと思っていた。
だから「ボクの宗教へようこそ」は最高だったな。


「狂い時計のネジ巻きマキナ」をはじめて聴いたときとてもうれしかった。
いままでとは明らかに歌詞の書き方が違うと感じたからだ。
ぶうさんがこういう形の歌詞を書くことがうれしかった。
ポエムといえばポエムで、メルヘンで。言葉足らずに見えるだが、詩としては十分。
これをいまだに定期的にやりつづけると思ってなかったし、まさかベストに入るほどになるとも思わなかった。
だから、これが入っていることは結構感慨深い。


「12モンスターズ」はそれ単体でというよりも、
アリス→12モンスターズ→惡道に死す→チェーンソー
という流れがすごくすきなんだよね。物語の中に組み込まれていて発揮する良さ。
えんそくの中で大事な曲のひとつだと思う。
これが出たことで今のえんそくがちょっとずつ出来上がってきたのかなあと思ってる。
大事なピースの1つというか。それは全部そうなんだけどさ。
いままで「100人」しかいなかったぶうさんの中の「ハミだしたボクたち」が、「101人目」から先もいると気付いたというか。
そういう時期だった。


「金曜日のチェンソー」は単純に曲がすきで
あとは、「ライヴを意識した曲」というところが良かった。
CD発売するときにぶうさんが言っていたが、
これが出た年の2017年 寺子屋ツアーの心斎橋VARONでのライヴがとても印象に残っていると言っていた。
THE BLACK SWANのライヴ中、楽屋裏にいたぶうさんにも聞こえるくらい大きなお客の声が聞こえてきたのだと言った。
それを聴いたぶうさんはすごく悔しかったそうだ。
私はこの話がめちゃめちゃすきだ。
その思いは私も同じだった。その年はLIPHLICHも出ていたんだけど、圧倒的に良すぎたし、マイナス人生オーケストラもめちゃめちゃアツくて素晴らしかった。
THE BLACK SWANがすきだからという理由だけじゃなくて、なんというか、このときめちゃくちゃ悔しかったのは私も同じだったからだ。
えんそくが圧倒的に負けていたからだ。
そしてそれは、寺子屋で一番は俺たちだ、というお山の大将気分でいつまでも居続けていたえんそくが圧倒的に悪かったからだ。
だから、その声援を聴いて、ちゃんと「くやしい」と思ってくれていたことがすごくうれしかったのだ。
同じ事務所にいる「後輩」を、ちゃんと「ライバル」としてやっと意識してくれたことがうれしかった。
そして、この曲では、チェンソー!という部分をみんなで歌って欲しいと言っていた。
誰よりも大きな声で。THE BLACK SWANにも負けないような、ライヴができるようにと。


新曲2つだったら、「BEYOND DEAD WORLD」よりも「あの丘をこえていこう!」の方がすきだ。
今の「ボク」の気持ちが全部入っていると思える。
変わらずココにいると言い続けているが本当はそうじゃなくて
「お互いにいろいろあった」んだ。
変わったのは「君」だけのせいにするのは違うと思っていたから。


なんていうかたくさん書いたが
この“ベストアルバム”を形容する言葉は「まぶしい」という一言でしかない。
そしてそれは決して私の中で良い言葉でもないということだが、
未来のことは、私にも分からない。


あと全然関係ないんだけど
「今夜あの丘をこえていこう 荷物は置いて出ていこう」
だけの行にある“荷物”だけゴシック体なのが気になって気になって仕方ない。
多分ただの間違えなんだけど。

そういうとこだぞ。