行く先の似た様な途を未だ走り続けている

・18日(金)
帰りにご飯誘われたので食べて帰る
かなりぼんやりしてしまった気がして
申し訳ない気がした。
私の話がおもしろくないのは、お前のせいではない。
ぼんやりとした1週間を過ごした。
雨が強かった。


・19日(土)
何もしていない
しばらくお布団にいた
マンガも読んだ。
消化しきれないマンガや本で机がいっぱいになっている。
今週はとにかく身体がダルくて頭が回らなくて、困った。

空虚で死にたかった
いつまでもずっと

「誰か」の生活が一変するということについて考えた。
「誰か」の、限られた時間やお金の行方について考えた。
何もないということについて考えた。
ドーナツの穴に泥を埋めるような

私の「死にたい」はどこへ行くのだろう。


20日(日)
ライヴだった。
まつみやらないな
どうしていつもライヴでやらない曲ばかりすきになってしまうのだろう。
誰にも会わずに帰った。


・21日(月)
会社へ行った。
人間としゃべるのがつらかった。


・22日(火)
会社休み。
電車降りたら雨はやんでいた。
雨が降っていたのは午前中だけだった。ガッカリだ。
テレビつけたら 儀 はもう終わっていた。
なんかずっとテレビがついてた。
紫のセーターを着た。
おだやかな1日だった。

嫌いなものを観ないという話
あまりすきじゃなさそうなものでも私は観るし読む。
その中にもしかしておもしろいものがあったときに困るからだ。
人の評価はあてにならない。私は自分が観たり聴いたものしか信用ができない。
それに、おもしろくないものがなんでおもしろくないと思うのか根拠を知りたい。
面白く無いものがおもしろくなかったときに別にがっかりしないのは、
この世は8割がおもしろくないものでできているとすでに知っているからだ。
「なんかおもしろいことないかな」だ。
それに、自分の気持ち良いものばかり摂取するのはなんだか変だと思うからだ。
そうじゃないものも必要だと思う。
人にもよるのだろうが、「そうじゃないもの」を観たときに感じる空虚みたいなもの、が、私には必要なのだろう。

たくさんの人間がそれを「おもしろい」となぜ言うのか、興味がある。
私はそれをなぜ「おもしろくない」と思うんだろうと思う。
納得がいくまでそれをみたり人に感想を聞いたりする。
以前、「おもしろくないもののことをわざわざ話さなくてよくない?」と言われたのでなんか、そうだねーってなって、なんだかとっても怖くなった。


・23日(水)
ヒカシューみにいく
開場から開演までの時間
中高生のときはいつも開場から開演までの時間こういった気持ちだったなと思い出した。
ここにいる全員殺す!
だから私は「音楽」というやつが嫌いなのだ。ということを思い出した。


・24日(木)
仕事をしたという事実はあるが何をしていたか忘れた。
雨が降っていたのかやんでいたのかも忘れた。


・25日(金)
朝は雨が大変強く、一日中ご自慢の靴を室内で乾かしていた。
マンガ買って帰った。
かなり丁寧に読んだら1冊読むのに1時間くらいかかってしまった。
大人になるとマンガを読むのに時間がかかる。
そういうときいつも私は、中学生のとき図書館で働いているおねえさんと仲良くなってマンガを貸し借りしていたときのことを思い出す。
貸した「ヒミズ」について話したくて、読んだかどうか3回くらい訪ねたけど「まだ」と言っていたことを思い出すのだった。
大人になると、マンガを読むスピードが遅くなるし、手をつけるのも遅いし、手をつけても途中で休憩してしまうということを言っていた。
読みたいものでもそうなってしまうと言っていた。「ヒミズ」みたいなおもしろマンガでもそうなのだ。
私も大人になったらそうなってしまうんだろうか。でも大人は欲しいマンガがすきなだけ買えて良いな。
当時はそんな風思っていた。
私はいつもこの「きおく」を思い出したとき、自分が大人だということをとても実感するのだった。



・26日(土)
家にいる日にした
観に行きたい映画があるが
先週から なんとなくタイミングをのがしている。
行きたい美術館があるが
出かけるのがしんどい。

本を本棚にしまった。
しまったといっても全然しまえていない。
本をきっちり差し込み終わったあとの本棚の、本の前にあるスペースに、本を積んでいっただけだ。
じきにここにも積めなくなるだろう。
本の置き場所が無いことを気にして生きていかないといけないなんて不便だ。
解決策はこうだ。
これ以上増えてしまわぬように早く死んでしまうことだ。

明日は黒い服でも着よう。