妄想やペテンでもいいじゃない

私にとって大事なのは
一緒にドーナツを食べてやっほーと言いたい人がいるかどうか
それが出来るか出来ないかは問題では無い

ものごとを新しく始めることはとっても簡単なことで
何がむつかしいかと言えばそれを持続することである

ああ、今電車でおもいつくまま全部書いてるからそういう文章として読んで

人と話すのが下手なのは
自分の言いたいことが80パーくらい頭に置きっぱなしのまま会話が進むからだ
「会話」というのは人に合わせて何かを発するという行為なので
その都度80パーくらいの自分を置き去りにしたまま進んでいくからやっぱりストレスが生じます
最後まで話をきいて理解してくれようとする人がいるならばどんどん話しますけど
大体は自分の面白く無さを承知しているので途中でやめてしまう
疲れるじゃん
置き去りにするのと面白くないことを語り続けること、どちらが疲れるかと言われたら両方
よって、「会話」は疲れる
80パー置き去りにしても無問題な相手ならばスムーズにいくので
「コミュ力あるじゃん」と言われたら、そういうことだと思っていただきたい
つまり、どうでも良い、知らない相手にはいくらでも適当を話せる。
人間とはそういうものだから
だからかなしい

お笑いとV系異色のコラボ、みたいなイベントに出るようだがああいうのは寒い気持ちになるのだけどそんなこと無いですか

たとえばJin-Machineの笑いのセンスがまったく私とかみ合ってないんだけどライヴは楽しめる
こないだの仙台の対バンも楽しかった、CDを聴いて良いものだと思える。
なぜだろう
仙台の、とわざわざ書いたのは東京のジンマはとっちらかってて良いも悪いもなかったからだ

あたしのために、ってそういう意味では無い
みんなのうただけど
なんつうか言語化できないな
ああ、なんかこういうときに、ヴィジュアル系の文化とは改めてとても特殊だなと感じます
ばかだねえ

キッチュが一般流通書籍として売り出すそう
本誌情報-創作と娯楽の狭間を目指したマンガ・レビュー・エッセイの総合マンガ誌「キッチュ」
阿部洋一のために過去何冊か買ったことがあるがあまりパッとしない印象だったので良い雑誌になれば良いですね
一般流通第一弾のラインナップに石川次郎ちゃんがいるので俺得ですが近年のこの人は犬を描きすぎである。
ドラッグやってたであろう頃の作品が非常にすきなんだが、それはたぶんあまり書籍化もされておらず、載っていた雑誌を見つけるのにも非常に困難、というかどれに載っていたのかすら分からないので集めようが無い。
「犬」を題材にしている作家は多い
私も「犬」というものには非常に興味がある、と言ってもすきというわけではなく、モチーフ、言葉の響きとしての「犬」にただならぬものを感じている。
「犬」という言葉を使いがちである、俳句や詩を書くとき多様するのは、そこにある「得体の知れ無さ」が気に入っているのだろうと思う

15過ぎたらさっさと死ねば良かったかというとわからない
なにか間違っていただろうか
生きていても死んでも同じだから
生も死もペテンだ

前に自分が所属していたグループの作品と思われるトレーナーを着ている人とすれ違ったのでああこれはバンドを脱退したあとバンドが軌道に乗ったバンドマンの気持ちか!と思ってうれしくてホームページとかツイッターを5億年ぶりくらいにみたらあんまり変わってなくて失望したのでヴィレッジヴァンガードで一生くすぶってろ

という文章を途中まで書いてうとうとしてしまっていまにいたる

chelmicoみにいった話

タワレコ渋谷店


良いオバショット
chelmicoは息をするように恋の歌をうたうのが良いところ
ガールがボーイのことをキミとかいうタイプのうただから、こう、まともな気分の時にしか聴けないんだけど
でもとてもすきだしレイチェルはホントイイな、ほんと、イイな~、って感じですきなの
タイプの顔とかじゃないんだけど、ずっと失望しないですきだな
レイチェルはアッパーなんだけど切なさがずっとつきまとってんの。
リリック、というか私はレイチェルの言葉の使い方がすごくすきだから
今こうしてラップをしてくれていることがすごくうれしい。
youtu.be
おたくとしては
この曲なんかは途中で「おい男入ってくんな!」ってなるので基本的に向いてないんだけど
夜のオレンジの光とかカーテンから漏れる街頭の光の感じがしてクールだ
まあ、なんかこう、いろんな夢が詰まってますよね

本当にすごく良い顔で飛び跳ねて歌っていたのがとても良かった。
一番高く飛んでやるというくらいレイチェルは飛ぼうとしてて良かった。
店内が明るくて、恥ずかしいと言っていた。暗くして~って言ってた。
その分お客の顔を大切そうに観ていた。
後ろや狭い横っちょのひとびとにも丁寧に語り掛けるようにラップをかましていた、れいちゃんはchelmicoがとても大事なんだね。
あのレイチェルさんが渋谷のタワレコでラップしてる……って思うとそれだけで泣けてきちゃう
アルバム買ったときも実感としてCDの重みを感じて、ああ…ってなった

サインは歌詞カードの真ん中の写真にしてもらいました
CDめっちゃ聴いてるって言っても無反応だったので、(ああレイチェルさんだなあ)と思って安心しました。

久々に現場の住人に会ったのでうれしかった
いわゆるおまいつたちがいると謎の安心感があるな
私がバンギャしてる間も居場所を守ってくれているオタクたちがいるのだなと思うと安心するのかもしれない。勝手だけれど。
アイドルとの距離感に関してちょっと考える時期があって、それを経ていま丁度良い距離感でいれていることがちょうどいいや
「なんだか久しぶりな気がするよ」って言われても胸は痛くなかった
レイチェルはアイドルではない。ラッパーである。
真っ黒なマッキーを持ってたんで、金のペンでサインしてくださいって言ったら「わがままだな~」っていいながら歌詞カードに“ワガママボディ”と書いてくださった。
ああ、あとあさみさんとおしゃべりして並んでたら、2人同時にサインされますか?ってスタッフさんがきいてくださって、斬新だった。2人だと心強かったので良いシステムだと思いました。
おたくたちはそれぞれ次の現場へちりぢりと散っていったので(土曜日だもんね)、たくましいなと思いました。
また、私のあげた拡散用CDがそれぞれの鞄に入っていると思うと愛おしいなと思いました。

今夜はレティクル座妄想を聴いて帰ったよ
レイチェルの気に入っているアルバムだから

とりあえず今はおなかがいたいです
明日もお仕事しますけど時間が足りないな