帰るお家がさて君にあるかな

昼飯

エースコック スープはるさめ ワンタン
カゴメ 野菜生活100 フルーティサラダ

愛も夢もそんなにいらない

ハーシェル・ゴードン・ルイスが死んだらしい
特にゆかりは無い


羽多野ってこっちの人だったんだ 納得した
gakkenmu.jp

140字で収まることをわざわざブログで書くということ
140字で収まる思考の、その連続

秘密と友情

秘密と友情 (新潮文庫)

秘密と友情 (新潮文庫)

世界に居心地の悪さを感じすぎている二人の対談
春日先生はやはり頭がおかしいからすきだ
ほむほむはやっぱりダメすぎてうわあ、ってなる。
きらいとかじゃなくて、うわあ、この人駄目人間だ、と思う。

「努力」の章で
春日先生がミニマル・アートについて言及していて
キャンバスに丸だけ描いて、エルズワース・ケリーが描けばそれは「作品」になるけれど自分が描けばただの丸で、という話をしていて
それはなぜかというと修練や努力を重ねた上での丸だから、みたいなこと言ってて
私はそうは思わなくて
そうじゃないと思う、「丸をアートとして提示する」という点に気付けるか気付けないかだと思う。
「過程に何か大事なものが宿るという考え方」、こわいよね、「過程」を見せるか見せないか、だと思うよ。
友達に会う途中の道でおばあさんを助けたか助けないか、じゃなくて、助けたことを言うか言わないかみたいな、そういう感じ。

ほむほむがイシダイラに「君のしゃべり方は不自然で気取っている」と言われたというのがとても愉快。
春日先生の母親と自分の妻のスリーサイズが同じということを知ったと言っていて、ああ医者だな、と思った。

「俺、生まれてから不安じゃなかったことなんてない気がする」と春日先生は言う。
空虚感、罪悪感、心から笑ったことが無いという話をしている。ものすごくよくわかる。
何もかもが不安で、仕事があるからやっと世の中に居場所があるような感じがしているんだって。
ビデオデッキに「裏切者!」と吐き捨てて捨てるようなおもしろい男が日々そんな風に感じているんだって。おもしろいよね。

穂村さんは言葉が言葉である意味を知っていてそれをうまく使えるから、やっと生きていられる
「短歌は一応、世界の内側にあると認められたジャンルだから、どんなに奇矯なことを書いても創作上のエキセントリシティであって、狂っているわけじゃないから」
と言っておるのだけど、そうだよね、と思ったんだけど、ほむほむの短歌ってすごくなんていうかとっつきやすくて短歌として秀逸すぎてあんまりすきじゃないから、なんていうか、そういう短歌を書く人がこういう考え方をしている、というのが面白かった。
私は、駄目な人間特有の愛嬌みたいなものがちょっと苦手なんだよね、穂村さんにはそのにおいをぷんぷん感じるので、人としてちょっとニガテかな。周りに居たら、避けたいタイプ。
きらいじゃないけどすきにはなれない人だなと思う。

2人とも「言葉」で世界の不条理と戦っているというお話。


俳句

苦い夜 惡夢を食べる 甘いから

たそがれの国が近いから走るのよ

詠み人を知らないままの電話帳

宇宙傘 昔の女が笑う音

十字キー 閉じた後 そっと消える

電話帳っていうのは数字の固まりじゃないですか
だからそこに秘密の暗号が載っていたとしてもおかしくないんです
秘密の暗号っていうのは誰かの一生かけての私小説だったりとかそういうので
他人にとっては何の意味もなさないものなんだけど、
だから、電話帳にはそういう、誰かにとっての秘密の暗号が隠されているのです
選ばれたものだけがそれを読み取ることができる。
けれども読み取ったところで、誰がなんのためにそれを隠したのかは我々には分からないのだ。
無駄な労力だ
そんなことより多く睡眠をとった方が良いよ。
おやすみ、また会おうね。明日ね。