あるがままをそうお互いに受け入れあって

神保町

今週はずっと、オレンジ色について考えていた。
今朝は思いついて、オレンジのシャツを着てみたらとてもしっくりきたので、そうした。靴下もオレンジにした。
あさみさんとお昼を食べる。
あさみさんは、海苔がはさまった特殊なサンドを頼んでいた。
わたしは、ティースカッシュという炭酸の飲み物を頼んだ。
すきなものの話などした。バンギャルでもなく、ドルヲタにもなりきれないこと、オタクというにはあまりに物足りないこと、ただ形ばかりがサブカルであること。
私は自分が驚くほど普通で残念な人間だということを自分で知っている
何かに誇りを持ってハマれることは、羨ましい。というような話などした。
しかし、それであるからこそ、広い視野を持てるのかもしれないということにしたい。
私はいつも言っているが、たまたま格好良いと思った音楽がヴィジュアル系だった場合があり、たまたますきだなかわいいなと思った女の子がアイドルを目標としているただそれだけなのだ
そこに「オタク」としての誇りは無い。

えんそくというバンドにはまっているという話をしたら是非ライヴをみてみたいということだった
なんとうれしいだろうと思う。自分のすきなものはすきだと言うことがこんなにも大事なことなのかと気づくのが遅かった。
自分のすきなものは、自分の中でだけ大事にしないと、壊されていくとずっと思っていたから。そのようにずっと生きてきたから
だから、そういう中途半端な自分や、すきやきらいやヘンテコなことやそういうのすべてひっくるめて、えんそくは全部受け入れてくれるから、だからすき

身体の動かし方についての話が面白いと思った。
ボクシングや野球などは、自分の中で体をどのようにうごかせばこう動くというイメージが出来、そのイメージのようにだいたい動かすことができるということ、
だがポールダンスをやってみたときに、それがあまりにも自分の中でのイメージがとれなくて、体をうまく動かすことが出来なかったと言う話だった。だから、ヘドバンも出来ない、どうしたら良いか分からないとあさみさんは言う。とても興味深い話である。

マグリット

そのあとは国立新美術館マグリット展を観に行った。
私は、マグリットに絵の描き方を学んだようなもので、絵はこうやってかけば良いのだと知らされてずっと今でもそれを信じている、だから神。
だから、マグリットをみているととても安心する。
マグリットの描くピンク色について思う、なぜか、お前の筆はピンク色で出来ているのか、と思う。ピンクというのは不思議ないろで、考えても尽きない。
いろいろな色を塗る時に、どうしてもいろいろな色が、全部同じ色になってしまう、同じ色にみえてしまう現象がよく起こる。マグリットの絵をみていると、その辺の感覚がどんどん淘汰されて、ああなるほどと思う。
いちばんすきな絵は無かったが、本やインターネットで拾った画像じゃない、本物を多く観れたこと、また、まったく知らない絵もあり、大変良い展示と思う、ただ、ものすごく体力を使った。
「出現」は恐ろしいほど良い絵だ、何がいいってもうすべて良いんだよ。言わせんなよ。
「快楽」は、見たかったものとは違うバージョンだったが、あったことがとてもうれしかった。女が鳥を食べている絵。何か他とは様子が違うのですき。
マグリットは私のように苦しかったろうか、と高校生のときにはよく考えていた。
「私のように」。そんな昔の外国人のことは知らねえし知りえないのに。
今はただあるがままがそこにあることがうれしく、心地良い出来事だ。
マグリットは現場で起きている。それでいて停止した快楽である。
にせものをつくること。1pxの世界で。そこさえ守ればそれが「マグリット」である。
そのようなことを考えていた。

地震

帰りに地震が起きて、JR線は止まった。
地下鉄への乗り換え時に、ラバーガールの大水さんとすれちがう。私は飛永がすきである。
電車は混雑しているようでそこまで混雑でなかった。ツイッターを見ながら歩く。みな生活をしている。平和であると感じる。