目に見えるだけで目に見えない

ええと
12月は
なんだか忙しくていろいろそれどころじゃなかった。
なんかいっぱい疲れた 多分心が。
ほとんど天井も見れずにすごした。
天井をみるというのはさ かなり贅沢な状態だから。
とにかく人間であるということに疲れた。

こないだはヒカシューのライヴに行ったまあそればっかだよ。
おーけんのファンがこの世のファンの中で一番不愉快なのでくたばれと思ったけど楽しかったよ。
あとはなんだろう最近の出来事思い出せない
DVDのサイン会があったようだ
そういったことを楽しめることにうらやましさを感じる
サイン会って字面見るだけで具合が悪くなってしまうようになったので一生行けないんだろうなと思うとなんていうか意味分かんないよなつらい。
私がそこに行ってサインをもらうことは私にとっては最も悪いことだ。
私が私である限りはこれから先きっと一生だめ。


今日はライヴ行ったけどギリギリがんばって行ってはみたもののやっぱしんどくてつらくなった
私にとってそれが必要ないしその空間にとって私も必要なかったというだけの話だ。
友達の誕生日会へは行かなかった
どっちにいくのが正しかったのかというとどっちにしろ
私がそこにいる必要ってないよなって思うとどこにも行かなくて良いんじゃないかって思う。
必要とされていない場所に行くこと
天井を見ているときのほうがずっと私が私らしくいられる時間なんじゃないかと思う。

今年のことを書いた方が良いんだろうか。
今年はおそらく去年の半分もライヴへ行っていない。
そのかわり積極的に映画館へ行ったり、他人とごはんを食べたりということをした。
だから多分よぶんに疲れてる。しばらくもう誰ともなんもしたくない。
誰がとかじゃなくてなんか、人間がって感じで。
本は去年よりは読んだと思う。SFをたくさん読んだかもしれない。あとは再読ばっかりだ。
マンガはたくさん読んだけれども、なにがどれが今年だか分からない。
映画はねなんだろうな特にないや
全部気休め

音楽についていえば
一生観れなそうだと思っていたMoe and ghostsのライヴが観れたので今年はもうそれが優勝。
いちばん良いライヴだった。
電気グルーヴもよく聴いていた。
ヒカシューもたくさん聴いてたくさん観た。
ステージの上だけで完成されたライヴは、観ていて愉快な気分になれる。
だが自分が本当に求めている「ライヴ」ってこれじゃなくて、まあこれじゃない。
博物館の雪のよう。
それはそれという感じだ。ね、分かるでしょう、バンギャルだもの。


あとよ えんそくが筋少のカバーアルバムを出してそれがとても良かった。
ということを長文で書こうとしたが良いことと同じだけ悪いこともたくさん書かなくてはいけなくなってやめた。
頭があるなら考えろという案件が多すぎるけれどそれについていちいちいちいち突っ込んでいかないことにしているんだった。
まあとにかく、今までの「えんそく」がすべて入っていてとっても良いCDだと思った。


ステージの上にライヴがあってそれを観ている私がいてそれがその空間だけで完結している状態がいちばん良いよねって思う。
こないだのライヴは良いか悪いかで言ったら良かったけれど、今年の5月のライヴで感じた絶望は一生忘れない。

私は、演者が、本当にのぞんでいるライヴが観たい。
それに対する努力を観にいくのであって完璧でなくても良いし完成されていなくても良い。
「でももっとやれると思います。お互い頑張りましょう。」
今はその言葉だけが聞きたい。


自分は自分でしかなくて他人も他人でしかなくて
自分の正しさを人に言うことに正義はなくて
なんていうかさそれらを言葉にする必要性って無い。
自分のことを信用してあげられるのは自分しかいないのだ。
どうして私はおまえたちに私の大事な考えのすべてを言葉にして言わなければならないのだ。

曖昧なもの、弱いもの
言葉では表せないもの、他人には理解しづらいもの
形でできていないもの
完璧ではないもの
それらを言葉にしないこと
言葉にできることだけがすべてではないこと

そんなようなことをまた繰り返し考えている。
また繰り返してるな人生を。

良いことと悪いことがバランス。
そんな1年だった。