落ちてこなかった希望

夢遊病者の国へ~14才になるえんそく~

10/20@TSUTAYA O-EAST

いつも通りの「えんそく」
彼らにとっての日常。


リリックビデオを作ったことで、
えんそくは実は歌詞がすごく良いんじゃないか、と気づいたとのMCがあった。
なので、前半はずっと後ろのスクリーンに、歌に合わせデカデカと歌詞が映し出されていた。
リリックビデオはみなさんに大変好評のようで、本人達も気に入っているらしかった。
私は、リリックビデオも、スクリーンに歌詞が映し出されていることも、あんまりよく分からなかった。
これについての考えは今ここに書かなくて良いと思うので特には書かない。
ただそれは、私にとっては邪魔だというだけで、間違いとか正解とか言っているのではない。

歌詞カードを読むのがすきだ。
ぶうさんの書く歌詞がすきだ。
ライヴがすきだ。

後半、「プロレスをしよう」と言って
後ろの文字もやめやめ!と、歌詞がなくなった。
「机上の空論実行部隊」から先は、歌詞がスクリーンに映し出されなくなった。
その中でやる「ツンドラの暴君」、なんだかすごく久しぶりな気持ちになった。

ぶうさんはかつて、「おいそこのお前」と煽るタイプの人間だった。
けれども、気づいたことがあると言う。
動いていなくても、歌詞をじっくり聴いたりして楽しんでいる人がいるということ。
本当は「プロレス」がしたいけれど、そうじゃない楽しみ方もあるのではないかと言うこと。
だから、むやみに煽るのはやめたのだと言う。

私は、ぶうさんの言う「プロレスをしよう」がすきだ。
でもそうじゃない楽しみ方もすきだ。
「プロレス」だけしたいのなら余所でもできるが、そうしないのは、
ぶうさんの言う「それ」が、私はいちばん良いと思うからだ。

「売れたい」と言っていた。
この「売れたい」は、私が感じている限り、アリス~12モンスターズで発言していた「売れたい」とは質の違うものだと感じた。
その頃よく発言していた「売れたい」は、数字ばかり気にしているようにみえた。
目的と手段が反転していて、「数字」が欲しいから「売れたい」になってしまっていた。
本来は、「売れた」から「数字」がついてくるものなのに。
厳密にいうとまあちょっと違うんだけど、結果としてそのような振る舞いになってしまっていた。
だから、彼らの言う「売れたい」っていうのはどういうことなのか、私にはあまり理解ができなかった。
けれども、今このタイミングで発言している「売れたい」は、
「楽しいことをこれからもしたい」。だから、「売れたい」。
私は、この「売れたい」を心から応援したいと思った。

歌詞を映し出すこと、プロレス以外のやり方をすること。
歌詞カードが親切仕様になっていたり、分かりやすい内容の歌詞が増えていくこと。
意味に固執しすぎることのないライヴ。
これからは、そういった「親切」がどんどん増えるのだと思う。
これまでもこれからも、手を替え品を替え「親切」を増やし続ける事だろう。

いろいろあった
私がここにいることってものすごく「おかしな」ことなんだと思う。
奇跡みたいなものだと思う。
私にできることはやるし、できないことはできる人がやれば良いと思っている。
どうしても「納得」のできない振りはしなくて良いと思うし、ライヴがつまらなかったら帰る。
嫌なことは一生忘れずに許さないし、その分良いと思うことをずっとずっと大切にしていきたいと思う。
見たくないものは見なければ良い。
これからもそれで良いのだと思う。

けれども、これから増え続けていく「親切」に、私は、どれくらいついていけるのだろう。
下げ続けたハードルは、いつ上がることがあるのだろう。
たとえばぶうさんのいう「前から3列目まで」に居ない自分はどういう気持ちでその言葉を聞いていれば良いんだろう。
ワンマンでもイベントでも「平等」の「親切」。
私はいつまでそれを「手加減」だと思い続けることができるだろう。
「めっちゃ待ったよバカ」と、私が心から言えるようになるのはいつだろう。
雑誌のインタビューで読んだ「いつかは手加減することをやめたい」という言葉を、いつまで信じ続けていられるだろう。

色とりどりなふうせんが落っこちてきて
皆がそれを一斉に掴んでいた。
リリックビデオやスクリーンに映る歌詞のように
私の世界には、銀テープも風船も存在していない。
ただそこに5人がいれば良かった。
それはきっかけにすぎなかったけれど
私はどうしても最後まで顔をあげることができなかった。
未来が恐ろしかった。
“けやきひろば”で観た『1999年のブルース』を、私はもう一度聴きたかった。