どんな人だって百年後は死んじゃうよ

春が嫌いだ。
「嫌い」という断定的なことばは嫌いだが使ってしまうほどには。
空気がきみどり色で息苦しいのだ。
いつもの倍くらいに妙な胸騒ぎがする日は決まって誰かの命日なのだ。
身体にしみついている。
虚無を見つめた生活は気が狂いそうになるが、ただ元に戻っただけだ。
今までもずっと、虚無と共存して来たではないか。
毎日電気グルーヴを聴いている。大変助かる。何も考えなくて済むからだ。
毎日、毎日大事なものたちひとつひとつに、丁寧にやさしく、「お前はここにいらないんだよ」と、本当に丁寧に諭されているような、そういう日々です。
お前の居場所はここではないんだよ、と順番に、丁寧に、ひとりずつ。
言われているような気分なのです。
「わかっているよ」と言っても、いやいや、と言いながら親切心でずっと言われているような、
そういう気分なのです。
そして、そんな風にしか思えない自分が、「まずい」ことを自分がいちばんよく知っているのだから、
もうわかったから。
もう分かってるから、


行きたかったライヴ全部行けなかった。
ハコの生ぬるい空気を今はどうしても吸いたくない。
私のすきな空気は
転換中腕組みをしながら幕が開くのを待っていること。
準備運動をしながら、何も言わずにただ待っている最前列を、うしろから観るのがだいすきだった。

こないだ教えてもらったが
アルルカンのしょうへいのファンのおねえさんは
いくら最前列にいようとも、よくないと思ったらその場で帰ってしまうのだそうだ。
私だって帰りたいと思う。
今でなかったら私は帰る方の人だっただろうと思う。
帰るというのは、それだけ本気だからだ。
でも最近は、帰るまでもないのだった。
帰りたいわ。本当は帰らなくて済むライヴがいちばんいいんだけどね。そんなのは分かっている。


電気の話だが
最近おもしろかったのは
ストリーミング配信で電気グルーヴを聴いていたら突然きけなくなって、どうやら逮捕を受けて配信を停止したという話をツイッターでみて、
さっきまで聴けていたのに、音楽を返せ!というようなことをおっしゃっている方がおり、それが大変おもしろかった。
「音楽を返せ」
そう言えるほどすきならCDやMP3やらを買って所有しなさい。
その台詞を言える資格はあるのか?おもしろいなと思った。
ストリーミングが悪いとは言っていない、「所有」しないことをファンじゃないとか言うつもりはない。
CDを所有しなくてもファンはファンだと私は思う。ライヴに行かなくてもファンはファンだ。
そうしなければ「ファンじゃない」というのは、大変くだらん価値観だと思う。
ただ、「音楽を返せ」、これは面白い。
面白いよな。そこまで言えるほどすきなのなら、金を出して所有したら良かったんじゃないかと思う。うん。
ま、人それぞれだよね、すきの形は。ウンウン。愉快です!
ちなみに「30」でいちばん良かったのは富士山。元々別にすきな曲でないけれどこれはめちゃかっこいい。
富士山から海猫夏あたりまでの流れが特に良い。出てからしばらくはずっと聴いてた。
こないだは久々にVOXXXを聴きたくなって100年ぶりくらいに聴いたが完璧がすぎるな。特にエジソン電。
でもこれをよく聴いていたころはそんなにすきじゃなくて(Aがすきなので。まりん派なので。)、
何でかっていうと当時の恋人がよくTKOテクノクイーンなどを口ずさんでいて、完璧な音楽って、こういう何も考えない大人になったら聴く音楽だよなと当時思っていたからだ。当時から私はひどいやつで、恋人に対してそんな風に思ってしまうところがあって、そういうのは、いつまでも治らない。
私はいま何も考えたくない大人なので電気グルーヴを聴いています。

大人っていうのは、よくないものを「よくない」と言うことができないなんて、
なんて不自由なんだと思っていた。
こういう大人が、電気グルーヴを聴くのだ。
今の私にはそれを「よい」とも「よくない」とも、言えない。


毎日死にたい。
くだらないというのがいちばんくだらないと思うから、この世でいちばんくだらない人間、それは私だ。
ライヴに行きたいな
今は、チェキとかインストとか誕生日とか合宿とかお手紙とか差し入れとかそういうの本当にどうでも良くてただライヴが観たいだけ
それらを楽しめるひとはどうぞ心から楽しんで欲しいと思う、私は無理だというだけの話だ。
現場は現場で完結して欲しくて
だから、こんな風に
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「でももっとやれると思います。お互い頑張りましょう。」
ワンマンツアーの総括を、こんな風にだけ言えるのがすき
これは私のすきな樹さんのブログ。

毎日どうやって死のうか考えていると一日が終わる。気づいたら次の日になっていてまた朝が来る
そういう毎日はかつて幾度もあって、、幾度もあったことだ。
私は去年ずっと怖かったのは、そういう幾度もあった「毎日」がまた繰り返されることだが
毎日「お互い頑張りましょう。」を信じて、毎日、毎日、その日が来るのを大事に過ごしていた。
そういう日々を、私は一生忘れない。



最後にライヴにいったときすごく悲しかったことや嫌だったことを全部本当に全部思い出してしまい
ああもうなんか、なんか
何もできなくなって
また、こんな風に、なんのせいでもなく、「空気」だけで、こんな風になってしまうのかなと思って怖かった。
「いい事しかのこらないよ思い出なんて」、だけど、
楽しいことは私は一生忘れないけど、悲しいこと、許せないことを、こんな風に思い出してしまうのは非常に怖かった。
なによりも、そんな風に思ったことがあるという事実が嫌だった。
ライヴハウスに行くのが怖くなってしまった。

春の空気と同じだ。
身体が覚えている。


最近のことでも書くか
新しい棚を購入した。すぐに全部埋まってしまって、また新しい棚を購入した。
部屋の壁があらかた本棚になったが、それでも収まりきらない。
こんなに本があってもどうしようもないが
こんなに本がなくてもどうしようもないのだ。
最近は、マンガや本を買うペースがまた増えてしまった。
こんなに本があってもどうしようもないのに。


今日は、まだ「大丈夫」なのでこんなふうにブログを更新できた
えらいね
みんな毎日ツイッターとかできて、すごいな、いいな。
私も人間になりたい。


ずっとこんな感じ
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