水木金じゃまだ早い

私が毎日死にたいのは変わらない
どうしようもないけど

昨日
あさ高円寺でごはんをたべた
その後多摩センターへ行きアイドルのライヴをみた
そしてまた高円寺へ行きヴィジュアル系のライヴを観た
帰りは4人でごはんをたべた

この4つの出来事
考えるべきことが多くあった
高円寺の喫茶店でごはんを食べたことは私にとっては重要だった
わざわざ多摩センターまで一緒に来てくれるということも重要だった
高円寺でライヴをみたことも重要なことだった
夜ごはんを食べたメンバーも重要だったし

ただそれらを、どうやって書いたら良いのかは分からない
宇宙はひとつじゃない
というのを
どうしても書けなかった。

今日はタイフウが来るような感じだったくさいし家にずっといた
家にずっといて
何もしないをしていた
布団に入ったり出たりしていた
12時にメールをした。
ごはんもちょっと食べた。

夜はマシになったから
インターネットをした。

世界が止まっていた
ような感じだから
こうして毛布のように
なっていくのだ私は、と思う
それを悪い事とは思わない
歳をとるとシンプルな考えができるようになる
ような気がしてるけどそんなことはきっとないのだと思う(一般的な人と比べると)。
ただ、「若い」考えの複雑さ幼稚さを「ばかばかしい」と言えることはできる。
言えることはできるが、それを、良いとも悪いとも言っていない。
私はものごとに対する諦めが強いので
こうして今まで生きていくことができたのだ
こうして毛布のように、ただ薄汚れて、ゆくのだ。
消えてなくなって困るような重要な自分はそこには無い
死にたいという言葉に「早く」という言葉がつくこと
それは呪いだから、やめてはいけない。