気付いたら俺はなんとなく夏だった

多分きちがいでも相手にしてやっているような感覚なのだろうな、と思った。
そうです。
きちがいだから自分なりのポリシーがあったりして、大変なんすよね。
やめだやめだ


今日は、なんだか気持ちは忙しかったが、テンプレートの整理とかする余裕があるって感じで、そんな忙しくなかったりした。
自分のストレートな物言いがよくないと強制していた部分が少し前まではあったが、そういうのが近年またなくなってきたように思う。それを私は「殺伐」と呼んだり「衝動」と呼んだり、あるいは「空虚」と呼んでいる。

帰り道、遠くの空に音の無い雷がついたりきえたりするのを観ていたら急に感傷的になり、
そうか、みんなには明日があるんだもんなあ。という風に思った。
私にも物理的に「明日」はあるはずなのだが、明日とか次とかがあると思えるような生き方が私にはできない。と思った。
それは、「衝動」なのだろう。
私には明日などない。これは「殺伐」だ。
そしてそう思う私は「空虚」だ。

今ふと思い出したが昔、近所のビデオ屋のバイトAと吉祥寺のレコード屋にむかって歩いている途中、「君には初期衝動を感じるね」と言われたことがあった。何の会話をしていたのかは思い出せないけれど、聞きなれない単語を急に言われて、「ふうん、分かんない」と言った。「まあそういうもんだよ」と返されたように思う。
あの時言われた意味を今改めて考えると、なんだかよく分かるような気もしてきた。
若かったのでよく分からなかった。

何が言いたいかっていうと別に何も言いたくない。ただ思い出したことを書いているだけだ。

先週はずっとうつうつとしていた。
週末になったらそううつが激しくて、月曜日は完全にハイ状態だった。朝から「落ち着け」って言われた。
昨日も今日も、まだそれを引きずっているのだと思う。


まあだから、きちがいでも相手にしてやっているような感覚なんだろう。相手にしてやってる。
いいご身分だぜ
自分が納得できることを私は世界に増やしたいんだな、と思った。
なんかそれってめっちゃ生きてる感じ。

このブログ明日起きたら覚えて無いと思う。
じゃ、また明日ね。