泣きながらでも笑えてんならいいけれど

5th Mini ALBUM & 5th Full ALBUM同時発売記念5大都市ダブルワンマンツアーファイナル「Go!!Go!!5次元時空~Memory⑤&Future⑤~」

6月23日@TSUTAYA O-WEST

五次元上昇ということで「宇宙大天使土曜日」をよくやるツアーだった。
始まる前のSEは、Mはずっとクラフトワークで、Fが筋少だった。
ロボットとサーカス。

「ツアーファイナル」感はあまりなかった。
新曲が発表され、その日付にピンときすぎて、そういう自分に少しびっくりした。
Xthシングルの発売日を覚えていたことや、そしてそれがどういう意味なのかピンと来た自分がいたことにも、そういうことをやめたいなどといっていたのに伏線回収してきたぶうさんにもびっくりした。
けれども素直にうれしかった。

MCでぶうさんが
「カリスマごっこをしよう!俺がカリスマをするから君たちは一生懸命、狂信者を演じてくれ」と言った。

“ごっこ”をしよう、と言った。

「現実逃避に来てるんだろ、日常の嫌なことを忘れたいんだろ」と言われても
いつもいつも何もピンと来なくて、現実逃避に来ているわけでは無い私は、ここにいてはいけないのかという気持ちが強くなるだけだった。
けれども、ここに居場所は無くてもそれは自分で作れば良い、と思っていた。

ぶうさんはよく、ライヴ前に円陣組んで気合い入れてくような気概のあるファンが良い、と言っていた。
私は、気合いの入ったファンが毎回最前に必ず居るようなバンドがすきだ。
誰よりも声を出すことが正しいと思っていた。
自分が楽しいかということだけではなく、ステージの上と相互で熱を上げていけるようなものが「良いライヴ」だと私は思っている。
そしてそれは1人でできるものでは無いし、毎回それらができる空間はとても難しいことだ、と思う。

私はそれを「ここで」やりたかった。
毎回そのように意気込んでライヴにのぞんでも、やがて気持ちが萎んでいくのだった。
分かっているのに、毎回、ここがそういうお客のいる空間ではないのだったと気づく。
けれども彼女らはとっても楽しそうで、それらはみんなにとって正義だった。
それを悪いことだとは、決して思わない。
しかし私の中にもまた「正義」はあるのだった。
その度に私は、悲しかったり情けなかったり悔しかったりした。


「ぶうさんの理想」が分からなくなった。
今このWESTでするライヴは本当にこれで良いんだろうか、悪くは無いが最高ではなかった。
私だけがそう感じているんならそれで良い。
私だけがこんな気持ちなのだったら良いんだけど。
「みんな」が、「楽しい」って感じられていて、ぶうさんが本当に「最高」だって感じられているんならそれで構わない。
「ボク」の理想が本当に今ここにあるっていうのなら私はそれで構わない。

私は、このライヴは、「ぶうさんの理想」には随分足りないように感じた。
けれども、そこにきて「“ごっこ”をしよう」と言うので、ああ私の考えは間違っていたのだろうか、と思った。
もし、ぶうさんがまだまだ足りないと感じていて、理想のその先をちゃんと観ているのだと感じられるなら、私はそれについて行きたいと思う。
けれども、“ごっこ”と言われたら、その「理想」はどんなものだったのか、分からなくなる。

普通の人は生きるとか死ぬとか考えずにただただ毎日を過ごしているらしいし
明日これが観れなくなるという気持ちも持たないらしい、積み重ねという意識もきっと無い。
誰も命懸けでライヴなんか観ないらしい。
私が重すぎるのだ。きっとそうなんだろう。


私は自分の目で見て感じたものしか信用できない
言葉ではなく行動がすべてだ。
嫌いだと言えればもう二度と観に行かなくて済むのに