夢に見た夢さえも今は夢のままで

どうしても生きていない気がしてしまうときに「死にたい」と言う
「死にたい」という言葉は、生きている者のみが使うことの許される言葉だからだ。

とそんなことを書くとなんだか暗い人のようにみえる。
私は特別自分が暗いとは思っていないのだが
自分のツイッターなど見るとなんだか暗い人のようにみえる。
なのできっと、客観的にみると私は「暗い」のだろう。
という判断も昔はできなかったが、きっとそんな感じなんだろうと思う。
死にたいと思わない人もいるんだ、というのは大人になってから知った。
これは慢性的な病なのだとも思ったことがなかった。当たり前のことかと思っていたから、取り立ててそれを特別扱いしたことも無かった。
なので、大人になってからは、なるべく人と話すとき「暗く」ないように心掛けている。
できているのだろうか。

そんなわけでやっぱりどこまでいっても暗在系という気がするけれど
自分が無であるなどという考えはおこがましいと思う。


6月は、折りたたみ傘が壊れたので新しいものを購入した。
だがもう夏になってしまった
春が最も嫌いだが、夏も苦手だ。

水曜日はライヴへ行った
それはまた今度書こうと思うが、ああいった界隈の客が心底苦手だ。
乱暴な言い方をすると、何かにすごく鈍感な奴か、イキがっているような奴かの二極だ。
私も分類してしまえばそのどちらかなのだろう。
金曜日はヒカシューも観に行こうと思ったが、なんだかそんな感じで、「ライヴに行く」という行為だけで気分がめいってしまって、行くのをやめた。
それに、集中した方が良い仕事があったのでそうした。
その日は気分がとても疲れた。
「ライヴに行く」という行為が私にはとても重い事だ。


昨日は午前中家で死んだように眠った。
夕方友人が来るまで、何もしないをして過ごした。
本を開いたり閉じたりしていた。
夕方友人が来てDVDを一緒にみて、それからごはんを食べた。
母が天ぷらを作ってくれた。うまかった。
福岡で天ぷらを食べようとして混んでいたのでやめたという話をして、君が食に関心を持つなんて、と友人が喜んでいたのがうれしかった。
そうそう、福岡で食べたものが軒並みおいしくて良かったんですよ。

今日は髪を切りに行った
髪を切るときもずっとスマートフォンを手放さない人がいるという話をしていた。
私は電車でさほどスマートフォンは見ない、本などを読んだり、何もしない、という話をしたら「えらいねえ」と言われて、えらいとは?と思った。
みんな何かをやっている気になりたいだけですよ、と言った。
外はアツくて死んじゃいそうだった。
けれど、暑さで死ぬのはなんとなく格好悪い気がしてやだなあと毎年思う。
夏に死ぬと処理が大変そうなので申し訳ないし、なるべく夏に死にたくないなと思っています。
だからさあきっとみんな春に死ぬんだろうな。

友人におすすめの本を貸してと言われたので平山などを貸した。
私も夏なので久々にホラーでも読もうかと思う。
と思って久しぶりに牧野修をちょっと読んだら、もう数行で「ああこれだなあ」という気持ちになった。
これなんだよなあ。
そしてまた本を開いたり閉じたりしていた。


岡谷のライヴは実はとても楽しみにしていて
フラットな気持ちで観れるのかなって
行ってないけど、大崎のような感じのアツいもの…私がみたいものが観れるのかな、と思っていた。
けれどもリクエストとか、沖縄2日目のような感じだときいて行くのをやめた。
そういったライヴは私には向いていない。行かない方が良い。
行かない方が良いライヴがあるってことが悲しいけど仕方がない。向いてないのだ。
楽しめる人だけ行ってほしいなと思う

なんか、もう何も正しさがわかんないやと思った
昨日みたDVDが良すぎて、静かにショックを受けていた。
私の「居場所」はたしかにそこにあって、けれどもそれは、もう無いのだ。
そこにしがみつくことを格好悪いとも思うが
それを忘れてしまうことも悲しいから
何も言及できないまま、ただただ空虚が広がっていく。
格好悪いというのはちょっと違うけれど、なんだろう、そこから動けず何もしないという状態が私にはいちばん無理だ。
何事にも、原因があって結果がある。だから、「よくない事」があったときの私は、永遠にデバッグ作業をしている状態と同じだ。
私は、何もしようとしない人間がきらいなんだ。自分で出来ることは全部やりたい。
私はパンクスなのでD.I.Y.精神を常に忘れてないんだ。
しかしどうにもならない空虚っていうのはいくらでもある。
そういった“空虚”に常に取り付かれている。
それを人は「暗い」と呼ぶ。

私の正しさはどこにあるのだろう。
どこになら私の足跡がつけられるのだろう。

けれども、”盲点色”という言葉にどこまでも期待してしまう自分もいる。

・めちゃくちゃ汚いトイレに入ったら首から下まで水で満杯になった。

・おじいちゃんが変なとこに連れてってくれた。
変なとこは暗くてシンとしてて、でも変なものがいっぱいあってとても好みだったけれど、おじいちゃんが私をそこに連れてってくれたってことが一番うれしかった。
帰りの新幹線でおなかがいっぱいになるほどお弁当をたべた。