このままここにいよう 夏はもうこない

6月1日(金)

「解散」から1ヶ月経ったらしく、「へえ、そう?」って感じ
めまぐるしくてそんなに経っているような気がまったくしなかった
私の中で何も変わっていない
変わらぬままそこに刻みつけ続けていて、それしかできないことにまた絶望をする。
どういう形であれ、私は儿さんにライヴを通して教わった「何か」を忘れてはいけなくて、というかそれは、忘れたくても忘れられるものではない。

ソフトタッチが11年ぶりに新曲を出すというのでびっくりした
昔すきなバンドで、今でもたまに聴き続けているんだけれど
新しい曲は、うーんなんとも言えないのでアルバムとか出してくれると良いな
声のせいだろう
憂鬱さや複雑さが全面に出てこなくてシンプルに聴こえるようなところが、昔は、すきだったような気がする。
わかんないや

1週間仕事をしたがその記憶がほとんど無い。
何か考え事を目まぐるしくしていたような気がする。忘れた。
夜はDMが来て少し安心した。
私は私のやり方で進むしかないが、それを他人に押し付けない、というのを忘れてはいけない。
誰かが苦しむところを観たくない。そういうのは自分だけで十分だという気持ちになる。
世界の悲しみをすべて一人で背負ったような気になっているのではなく、ただシンプルにそう思う。
私は慣れているから。
全部綺麗ごとらしいのでそのように処理してくれ。

夜中何度も起きて息が苦しくなった。
いつものことだ。

6月2日(土)

半分はお布団に居た。
起きてすきなマンガを読んだら憂鬱が増幅していったのでしゃがんだり立ち上がったりを繰り返してなんとなく紛らわせた。
夕方は友人が家に泊まりに来たので大丈夫だった。
ひたすらlainのアニメを一気見していたのだが、友人は永利政美が出たあたりで眠ってしまっていた。
なので、物語をかいつまんで説明したが、「その説明がもう眠い」と言われた。そうだよね。

R-1を飲み、歯を磨き、布団に入って、電気を消した。
なかなか眠れなかった。
いつものことだ。

6月3日(日)

友人が朝早く家を出た。私はそれよりもずっと早く目が覚めていた。
友人を送り出したあとまた布団で何度か眠った。
具合が悪かったので薬を飲んでほとんどを布団で過ごした。
なので、鴨沢祐仁の展示には行かなかった。
夕方久しぶりに少し絵を描いた。
インターネットは不思議だなと思った。

久しぶりに家のPCに入っている全楽曲をシャッフルで聴いていて
finisが流れてきたときはっとした
特別すきな楽曲というわけでは無いが、美しさのベクトルに、急にはっとしてしまった。
シャッフルをすると、よく知っている曲でもたまにそういうことがある。

twitterをみるとすべてがどうでも良くなる
そういうのを観ると早く死んでしまいたくなる。
品がねえ 萎え、という気持ちになる。
自分が綺麗なものだとでも思わないことだ。


今日もずっと早く死にたかった

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