2018年の寺子屋ツアーのこと

寺子屋ツアーが始まるのが不安で仕方無かった。

みんな勘違いしてるかもしれないから書くけど、
私はぶうさんのことがすきすぎて、だからかっこ悪いとこはみたくないからそれなら観ない方がマシだと思って、だから観なかった。嫌いになったわけじゃないんだよ。
これまでの適当なライヴを私は全部一生許さないし、許せないことが他にもいくつかあって、でもそれは
なんていうか、私にとっては、「ライヴ」がすべてだから、「良いライヴ」をしてくれるならば、なんでも良かった。


私はずっと、“園児”としてTHE BLACK SWANを観てきた。
THE BLACK SWANの、バンドとお客の熱量が羨ましすぎて、気づいたら“I’m6”になっていた。

今年の寺子屋ツアーは、スワンにとって最後のツアーだ。
発表されたときに心底がっかりした。なぜ最後がワンマンでは無いんだろう、って思った。みんながっかりしていた。
だから、私は、このツアーは、「最後が寺子屋ツアーで良かった」ってみんなで言えるようなものに絶対にしてもらわないといけない、そういう気持ちで参加したい、って強く思った。
それは、私ひとりが思ったところでどうにもならないことだった。

福岡→岡山→大阪と、最初の3本を終えて、私はすごくがっかりしていた。
もちろん、スワンはスワンで毎回とても良いライヴをしていた。
でも、それぞれのバンドで良いライヴをしていたのかもしれないけれど、ただの対バンって感じで結局終わってしまって、これでは「寺子屋ツアー」である意味が無いって思った。

SEが鳴っている最中に、私のすぐ後ろで、観たくないんだけど、誰か変わってくれないかな、ってずっと大きな声で言うイイコが許せなかった。というか、すごく悲しかった。
思っても良い、だが、どうしてそれをわざわざ口に出すのだろうと思って理解できなかった。
私は「イイコ」のそういう無神経で恥ずかしいところがだいきらいだった。
ライヴが終わってロビーの物販へ行くと、ロビーに人が数人いるのもつらい気持ちになった。先ほどの良いライヴを、観てももらえなかったのだと思って辛かった。そのとき辛すぎて次の人のステージを観ることを放棄した。このツアーで、観なかったのはそれ1つだけだ。
そのとき私は、I'm6達とおしゃべりするふりをして心がどっかいきながら、どうにか過ごした。
でも、そうやってこのロビーにいるみんなたちもまた、他のバンドを観ようとしないのだと思ってとてもむなしくなった。
でも、それは今までもずっとそうだった。
その日も私はえんそくで、どうしても笑えなかった。

だからそのときに私は、コレをどうにかしないといけないって思った。



儿さんは、寺子屋のイベントでは、最初からずっとずっと、「寺子屋」って煽ってくれているのがうれしかった。
他の対バンイベントとは違うということだ。
「イベントってどうライヴして良いのかわからない」って言う儿さんが、「寺子屋」のお客さんに向けてライヴをしていた。




ぶうさんが松本のときにブロマガを更新して、私はそれが良いと思った。
ch.nicovideo.jp
ch.nicovideo.jp
TLが荒れていると言いながら友人がこのブロマガについて批判していたり、ツイッターでなんだかんだと言う人も見かけた。
私は、うーんそうだねえなんて言いながら、
でも、どの気持ちも理解できなかった。

これは去年の儿さんのブログだが、言っていることは同じだと思った。
lineblog.me

ライヴというのは
ステージの上の人間とフロアが一体になることが、より「良いライヴ」になるのだと私は信じているのだけれど
黙っていれば向こうから「良いライヴ」はやってくると思っている人もいる。
そうじゃない、と私は思う。私がそう思うだけだ。
思うのでがんばるが、バンドがいくらがんばっても、私がいくらがんばっても、お客が全体でなまぬるければ、たちまち生ぬるいライヴに仕上がってしまう。
でも、それに気付かない人もいる。
でも、そういう人を集めたのもまたバンド側なのだと思うと、無気力になってくる。
でも、なんだろう、ただ動かずに観るだけでも、ステージに伝わるのであればそれはそれで良いんだ。

「ひとつになろうってバンドマンはよく言うけど、俺の言うひとつになろうってさ、振りがそろってるとか、声が出てるとか、そういう…なんだろう、そういうことじゃなくてさ、もっと…なんだろうな、別に声が出てなくても良いし…ほら、俺たちのファンて、意外とおばちゃんも多いじゃん、だからさ、自分の体力にみあった楽しみ方で良いんだよ。でも、心で、熱を伝えてくれたり、受け取ってくれたりすれば、それで良いから」

これは、去年儿さんがMCで言っていたこと(を記憶のままに私が文字で記録したもの)。
これを私はずっとかみしめている。

「最前は遊びじゃない」と言われてふざけんな好きにさせろと怒る客
「お前等、フツー」と言われて何が駄目だったか反省会をする客
違いはなんだろう。

バンドマンは、尊敬できなければ終わりだ。と私は思うし、
尊敬できない人をなぜ観ていられるのか?と思う。
「ガチ恋」とよく言うけれど、その存在について否定はしないし肯定もしないけれど
それって、ステージの上の人間と己が同じレベルだと思ってるってことで、すなわち、なめてるってことだ。
何を求めているのかは人それぞれだし勝手にしたら良いけど、
やっぱり私は改めて、今居る“イイコ”の8割の人間と相容れないと感じた。

一方でI'm6のお友達が増えたり、よくお話しするイイコとはまたお話ししたりして、
ツアーが進むにつれて、私は周りのみんなたちとより仲良くなっていった。
同じものを観ているのだから、当然だった。
10月からずっと悲しみばかり背負っていて、そこから数か月たって、やっと冷静になれて来たときに、
私は自分の感覚としてちゃんといろいろなことが感じることができていると、最近は思えてきた。


今回のツアーでやっぱりうれしかったのは、
I’m6も初めてまともに他のバンドを観てくれたんじゃないか?ということ
イイコや負リも、SWANを「ちゃんと」観てくれようとしてくれたこと。
私あなたたちがいつも後ろとかロビーで何も観てないってこと知ってた。
お互い様だったんだよ
私はどっちの気持ちもわかるから
ああいや、もしくは、どっちの気持ちも分からないのかもしれないな。

私はね、なんか偏ってるらしいから。
0か100か、でしか生きられないんだよねえ。

友達のI’m6が少しずつ、マイナスのときにキラキラリングをしたり、おにいたまのツイッターをフォローしていたり、えんそくの振りを練習していたり、そういうのが増えてきた。
また、えんそくは、名古屋くらいから少しずつ「熱」が戻ってきたように私には思えて、それがとてもうれしかった。

すごく思ったんだけど、私は生粋の寺子屋ギャルでしかなかった。
スワンのTシャツ着てるのに、どこのバンドのファンか分からなかったと言われて、おかしかった。
2列目にいても、誰にも声をかけられずに、どこの交渉も来なくて笑った。
ゲスト含めて大体全部振りができた。そのことに自分でウケていた。

寺子屋に不満はたくさんあるけどやっぱりたぶん私は他だときっと無理なんだと思う。
その中で、私は、儿さんという人間に出会ってしまったのが本当に奇跡だと思う。
寺子屋に入らなければ、絶対にすきになることは無かった。絶対に。

私の「本命麺」は儿さんだ。これからもずっと儿さんだ。
「本命麺」と呼ぶのに相応しい人だと思う。
だから、私は儿さんと、儿さんが選んだSWANの他のメンバーたちも、表現することを続けて欲しくて、やめてほしくなくて、
だから、どんな形で戻ってきてもすぐ駆けつけられるように、私はバンギャルをやめられなくなってしまった。
「I’m6」として、寺子屋に居残りしようと思ってしまった。


本当は、これでバンギャルをやめるつもりだった。
絵でも描いて暮らそうと思っていた。
儿さんがいなければ意味がないと思ったし
私のだいすきなぶうさんは、えんそくは、どこかにいってしまったと感じていたから。
でも、あきらめられなかった。

私はイイコの八割がはっきり言ってきらいだし
えんそくが今度また適当なライヴしたらぶっ殺すし
新曲今のところ全部ピンと来てないからワンマンツアーはちょっとお休みするかもわからないけれど、
けれども、今回のツアーよりもアツくて、良いライヴしてくれるなら私はいつでもそこに飛んでいく。

今回のツアーみたいな熱量を、バンドも、もちろんお客も、いつまでも絶対に忘れないで欲しい。
THE BLACK SWANが寺子屋に入って残したものを、絶対に忘れないで欲しい。

だから、私はこれからえんそくや寺子屋のイベントを観に行くことがあるならば、それは「I’m6」としてだ。
私の「本命麺」はこれからも儿さんだけだけど、ぶうさんは、言うならば、なんだろ、「宇宙」かな。

5月1日は、元気で会おうとI'm6と約束したから、
とりあえずは5月1日までは、健康に気を使って生きようと思います。

私の信じたものをかっこいいと言ってくれる人はうれしいから
「気が向いたら来なよ」ってみんなに言ったけど、
ほんとは、かっこいいから、「絶対観に来て欲しい。」って言いたかった。


言葉は誤解を生みすぎるから
こういうのは全然書きたくなかったんだけど、でも今の気持ちをこういう風に書いて残した方が良いかなって思ったので、書きました。
友達に読んで欲しいと思ったから。