人生むなしかった

何かを誰かに言っていないとしんどくてしんどい
帰る時いつもどうがんばっても涙が出てしまう。
たとえ1日楽しく…ジャンプを回し読みしたり、双子の話題で盛り上がり、唐揚げを2つも頂いたりしても、どうしても頭の中では、ぐーるぐーるしていて、朝から晩まで気分が悪くて困った。それでも出てくる言葉は明るくて、毎日そんな風だから大分壊れているのだと思う。自分でそう思えるうちは大丈夫だ。
いつも電車で我妻俊樹の怪談本をゆっくりゆっくり読んで帰ってる。それか、スマートフォンでこのように文章を打っている。
毎日帰る時、この現世で信用出来るのはステージの上の儿さんと我妻俊樹の文章と、ご飯を作って待っている母親だけのやうな気がしてしまう(そんなことはない)。

5月1日が来るのが怖いし、もっというと明日が来るのが常に怖い。何が怖いって日常が怖い。もうあんな風な自分には戻りたくない。つらい、たすけて、毎日明るい自分になれたと思ってた。
5月1日以降は戻ってくるんだよね、と言われた。何をどうしたらそういうことを言えるんだろうと思った。
悪気はないのだろうし嫌いな人ではないから、余計に困ってしまった。
それとこれとは話がまったく別であるし、それってどちらのバンドにも失礼な話だなと思う。解散するからとかそういう理由だと思われているのだろう。
別の人には、合わなかったのだという言葉で片付けられてしまって、そんなことはじめから知っているのにと思う。
私はただその時カッコイイと思うものを観ているだけだしカッコ悪いものは観たくないだけだ。シンプルな話なんだ。

チケットの枚数が減っていく感覚、怖すぎて、あんなに観るのがすきだったカレンダーも、できればみたくない。
みたくないけど次のライヴはやっぱりどうしても楽しみだから、何度も、何度も、週末の予定をチェックしてしまう、毎日。

あとどれくらい生きなければならないのだろう
ダルいし、私が存在する価値はほとんどないから、もうやっていかれないなといつも思うし
からっぽだから
今日も口にまかせたでまかせを頼りに生きている。
なんでも良いんだ本当は。
私は割合ひょうきんなんだ。

とりあえずからっぽだから、24日のチェキを永遠に眺め続けている。
前まではチェキって、その日の記念品とかお布施みたいなものだと思っていたから、こんなふうに毎日毎日同じ写真を眺めてしんどい気持ちが和らぐ効果があるものとは思っていなかったから、とても不思議な気分だ。

24日に私が着たお洋服は、とっても可愛くて、だからもう二度と着ることはないのだろうなと思う。
寂しい。

切符を握りしめたまま、いつまでも終点に着かない。
こんなのは早く終わってしまえば良いのに。

狂っていたのは世界の方だと、そういう希望がどこかにあるのならば、それだけでしばらくは良い。