戦争に反対する唯一の手段は

昼飯

・国産蒸し鶏の胡麻サラダ
・ミルクのようにやさしいダイズ

ブルボンのラシュクーレを永遠に食べてる

今日

今日は半分くらい、会社で一人だった。
おなかいっぱいで、すやっ…としてしまったが起こしてくれる人は居なかった
穏やかな一日であったと思う。

インストやライヴの予定を考えて、うーんとうなる。

たまたま見かけたのでメモ
togetter.com

私はこれをみて、いらじ先生が「正しい」と思ったが
そのあとの会田先生のツイート、ここもまとめに入れるべき

よって、会田先生の言い分も正しいと言えばある意味正しい。
しかし私は、絵というのは自分が描きたくて描くというのが「正しく」あって欲しいから
何がむいてるとかそんなものは関係無いかなと、思いますけどね
この、「作風が似てくる傾向はご用心」というのも、何をもってしてご用心か、というのを考えると、いらじ先生にはまったく関係の無い事柄ではないか。何がご用心なものかと思う、すきで描いてるんだから「趣味じゃない」という言い方は正しいと感じました。

人間として方向が違いすぎる。
すれ違うことの無いような人たちがこうしてインターネットで出会ってしまうこと、
良いことであり悪いことでありという感じ。



何が美しいか何が醜いかは誰に分かるものではない
「どうしたらもっと可愛くなれるのか」という、その精神的美しさを私は支持する。


美しさということについて考えていた。
この世界は狂っている。
美しい世界の中では、美しくないものでさえもまた、美しくあり続けるのだ。
恐ろしいけどそれもまた「正しい」のだ。
枝分かれする無限の世界で私は「正しい」選択をしたうえでここに立っているのだろう。
何が正しくて何が正しくないか、それは私が決めることでは無さそうだ。


『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。』
とはよく言ったものです。