デタラメと呼ばれた君の夢

昼飯

・国産蒸し鶏の胡麻サラダ
・ミルクのようにやさしいダイズ

なんかびっくりするようなもん 転がってないかなぁって

今日は、社長が「ボクの誕生日は素数だ」と言って喜んでいたのがおかしかった
平和
しかし仕事が減るようなことを言っていたように思うのだけどあれあれ、忙しいなあ?

クアトロの感想は、書くことが多すぎてめちゃくちゃ端折ったんだけど
ぶうさんが「俺は山手線に乗れない」って仰っててそこに素晴らしくきゅんとしてしまったことをここに記しておく。

キャトルすごい楽しかったよ
ツーステがあるんだけど誰もうまく出来てなくて面白かった
でもスペース無い会場だとちょっときつい気がするね
くわしくは知らないがスペースのありあまってるドマイナーとかでやるようなものな気がしていたがどうなんでしょうか。
V系でツーステ踏む意味はわからないけど入り乱れてておもしろいよね。
そうしていろいろなよくわからない文化が入り乱れて出来ていく過程ががすきなんですよね。「ギャル」というのは独自の文化を作りあげる生き物だからすきです。非常に面白い。
その辺の文化は知るの楽しいけれどやはり現場に行かないとわからない文化だなあと思う
えんそくしか行かないから余所はあまりわからない


ところで
このインタビューが素晴らしかった。

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ぶう:ボクの中2の頃から変わっていない部分を出すのがバンド(活動)だと思っているから、ボクらが中学生だった頃の「1999年がもうすぐ来る」という終末感と、日々がつまらなくて「なんか楽しいことないかな」と鬱屈した感じが相まって「あの時代特有の中2感」を構成していたと思うんですよね。

――「つまんない日常」と「世界の終わり」が直結してる。

ぶう:当時の感覚としては直結してましたけどね。オカルト番組もテレビでいっぱいやってたし、僕は中央線で生まれ育ったんで、小学校の遠足になると高尾山に行くわけです。矢追純一が高尾山でUFOカフェをやってたり。そんな環境のなかでUFOやオカルト、ノストラダムスの大予言を希望として捉えていたというか。

授業中にテロが起こる妄想、隕石が落ちてきて自分だけ生き残る妄想とか。今の子供たちもするんですかね? 皆やってたと思うんですよ、暇な授業中に。その妄想をする上で、ボクらの世代には「1999年終末」っていうのがあったと思うんです。

その頃の気持ちがずっと残っていて、滅亡や死を肯定的に、「チャンスだね」という風にとらえてる。これって突飛な思考ではないと思うんですよ。

――これは前作『惡童のススメ』収録の『1999年のブルース』の歌詞の中にも”「アンゴルモア」を待っていたら夏が終わってた”とありますけど「起こらなかった」わけじゃないですか。そして今は2017年ですよ。

ぶう:すごいですよね。つまり今10代~20代前半の子たち、その終末感は知らずに生きてることになるんですよね。だからこのボクの感覚を共有できるかどうかわからないけど、「世の中なんかひっくり返るようなおもしろいことがねえかなあ」と思ってる、そういう非日常に憧れる気持ちは脈々とと続いてるだろうし、皆持ってると思うんで、そこに訴えかけられたらいいなと思うし。

そういう終末感に対して嘘なく言える世代に生まれて良かった、そこを武器にしたい。

この『滅亡や死を肯定的に、「チャンスだね」という風にとらえてる』っていう、これが一番このインタビューで最も良いところかと思う。
私は、“「アンゴルモア」を待っていたら夏が終わってた”が理屈ではなく肌感覚で「分かる」世代で、
あのとき確実に「世界の終わり」が隣にあったわけ、そんな気の狂った状況がかつてあったんですよ。
で、それを知らない20歳の友人がこれを聴いてピンと来ているっていう状況がとてもすき、すごく良いことだと思うの。
私はたぶん一生「あの時代特有の中2感」が消えることは無いしそれを追い続けてしまう気がする。

ぶう:世の中の人たちは流行の先端を追うじゃないですか。流行ってるものを追っていくと思うんですけど、果たしてそれが望まれてるのか? という思いがあって。俺達はそういうCDは聞きたくないかなあ。

新しいものは新しいものでかっこいいと思うけど、"「新しいもの」を追ってるもの"には興味がない。だからえんそくは古臭くてもいい、とも思ってます。

クラオカ:あの時代は「黄金時代」と呼ばれてましたし、俺たちはその畑から来ましたってわけだし。その頃かっこいいと思ってることを堂々とやって、「かっこいい」って言われたい。

私は、「私が過ごした子供時代」の“90年代”が大すきだから、どうしたってえんそくにピンときちゃうんだと思うよ。


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