この世界は誰かが身代わりさ

去年の今日のライヴ
yumemizanzo.hateblo.jp

すごく良かったよね。
物覚えの悪い私が日付を覚えているくらいには意味も意義もあるライヴだったんだよ。
「死」に捕らわれているのは今だけじゃなくて、ずっとなんだと思うんだけど
“頭もげるまでヘドバン 首千切れるまでヘドバン”という歌詞は
“ほら首を切れ 全部血を抜け”と同じようなことだと、
そうだと思いたいです。

良いライヴが観たい。


書くのを忘れていたが
大阪からの帰りは新幹線で帰って、乗った車両にたまたま某有名アイドルグループの5人が乗り合わせていたらしく、降りるときにそれに気づいてものすごくビックリした。大変かわいらしかった。
大変綺麗だったので、それだけでなんだかぼーっとしていた頭に酸素がいくようで、「アイドル」の力は本当にすごいなあと思った。すきでもよく知っているわけでも無いし、ただそこに存在しているだけなのに、「アイドル」は「アイドル」だったから、それだけで頭がシャキッとして大変うれしかった。
かわいいは正義である。
私は、「アイドル」って言葉を使うのがあまりすきでないんだけど便利だから使う
「アイドル」などと一口で言ったところで色々居るじゃないかと思う、誰かを呼ぶときに「女」ってひとくくりにするのと同じくらいテキトーで不躾な言葉だなあと思うけど便利だから使う。
すきでは無いけどやむを得ず使っている言葉というのは多い。
いちいち言葉などに責任を持っていく生き方は少々生きづらいが、仕方の無いことだ。
胸を痛めながら使う言葉というのがたくさんある。

「カテゴライズ」については考えることがよくあって、
今の時代は、自分自身のことをおたくだとかサブカルだとかいう言葉でくくらないといけないような、そんな時代なのだなと思う。自分が何者かでないといけないらしい。
私はよく嘲笑の意味で「私サブカルだから」とか使うけど自分がサブカルなどというものに属しているとはあまり考えていない
どちらでもよい
何かに属していないといけない若者を哀れに思う
フレキシブルに考えた方が良いぞ、と思う反面、私は根っからの「サブカル」なんだろうなと思う。
なぜだかそこになさけなさを感じる。
しかし「残ちゃんはポケモンで言うとサカキレベルのサブカル」とさきさんに言われたのはとてもうれしかった。
言葉の責任を考えて使うひとの発言はすきだし面白いのですよ。
サカキレベルのサブカルって名言くさい。

まあ、とはいえ適当ですよね


うれしいこともあるからそういうことだけ書けば良いと思うんだけど
悲しいと思うことは「沈黙」するしかないのはどうかと思う。
「答えは沈黙」なんだと思うと解せない。
嫌な思いをしても結局は「勝手に嫌な思いになってる」とされるのが解せない。
その「もやもや」した気持ちを「沈黙」でしか表すことの出来ない我々のような「弱い」人間を救うヒーローは、当然のごとくあらわれるわけが無い。
だって沈黙してたら誰にも何も伝わらないもんねー、
その人が救いを求めているのかどうかすら「ヒーロー」には伝わらないから。
でも黙るしか無いんだよ。それが世界平和のためだからな、あ、じゃあもしかして真のヒーローは私たちのような弱くて無口な人間なのかもしれないよねえ~、立派立派。
君は「身代わりマリー」という歌を知っているか?

言葉でしかわかり合えない世界がクソだと思ったから私は「詩」を書くのも「日記」を書くのもやめた
全部をひっくるめて「死にたい」と表現し、でもそれはもうオシマイだ、って思ったからこういう風にブログをたくさん書く毎日を強制的に作っているんだけど
結局、「答えは沈黙」だった。
こうして今日もSNSに「死にたい」が増える。
twitterは現代詩の墓場である。
私は「現代詩」が大嫌いだ。

「正義の味方」は居ないけど同じ感覚を共有できる友達がいることがとてもうれしいからそれだけで良いんだろうね


対バン相手がきらいなんじゃなくてそこに感銘を受ける人達と相容れない自分が最もきらいなんですよ
ああはいはい、こりゃあ厭世倶楽部に入信するのが正解なんだろうな、しないけどな
北海道つらかったよ?そういう感覚を誰とも共有できないし「無神経な人」の無神経さが無神経すぎてこちらの神経は始まる前から終わっていたけど「勝手に嫌な思いになってる」だけだから、しかたないことです
それで攻撃するのは完全に間違えだと思うから絶対にしないけどこっちが勝手に嫌な思いになる分にはよくねー?と思うから、今日も黙って勝手にイヤな思いになって勝手に落ち込んでるね

嫌な気分になんて本当はなりたくないに決まってる
こえーよな~

バッキーバッキードルバッキー 暴いておやりよドルバッキー。
人間は奇妙な生き物ですよホントに。