星になった歌も過ぎた想い出も

北海道へ行くのは2回目だった
飛行機という乗り物は、すぐに着いてしまうなあと思う。

子供の頃初めて飛行機に乗ったときも一人だったなあ。
小学校3年生くらいだったかな。
どこだかの親戚の家に何週間も泊まりに行かされたのだけど、なんの良い思い出も出来なくて
なぜ私はここに来させられたのだろう、と、田舎の風景が続いているだけの道を歩かされて、一人思っていた。
田舎も、親戚の子供たちも、親戚の母親とその新しい彼氏も、みんなみんなセンスが無くてとてもとても不愉快だった。
私は初日に買ってもらった雑誌の付録についていた歌本の歌詞を、ひたすらにずっとずっと眺めていた。
夜布団の中でお気に入りのカンガルーの人形を抱きしめながら、毎日毎日毎日、東京のことを考えていた。
東京がだいすきで、大人になった今でも私はずっと東京がだいすき。

北海道から大阪への飛行機は起きていたから外を眺めていた。
昼間の、太陽の光が四角い鉄の固まりたちに反射してキラキラしていた。
次第に固まりたちがいろいろな形のビルや家に変わっていって、やがてそれらが同じ目線になって、気付くと空港にたどり着いていた。
景色を眺めて綺麗だと思うことはめったに無いが
太陽に反射する家やビルの群れを眺めていると、そのひとつひとつを人間共がせっせと作り上げて、今でもその中で人々が様々な活動をしていてそれを私が、かがくのちからで空を飛びながら、その空飛ぶ鉄の塊の中でキラキラした建物を眺めているという構造が妙に面白くて、滑稽だなって思うと、景色を観るのが面白いのだった。

大阪の空港でモノレールに乗った。
モノレールは前に一度万博公園に連れてってもらったときに乗ったことがあるから慣れたものだった。
大阪に来ること自体がもう、ほんとになれたもので、電車に乗るのも緊張しないし間違えてもまあ大丈夫だろう、という妙な安心感がある。
なぜだろうね。
千里中央で降りて江坂へ行く電車に乗る
千里中央」って駅名かっこいいよね、“センチュウ”ってそこかしこに書いてあったのがマジイカスって思って「センチュウ」って唱えながら歩いていた。
あとあのダンジョンっぽい駅のとこの建物の感じがすきだから、乗り換えの一瞬だけど、また来れてうれしかったりした。

大阪でのライヴのあとは、北海道のセトリを眺めながら、じゃ来週も生きて大阪で、と言って友人と別れた。


そんで今日は月曜日だった。
朝から社長が人生を歌っていた。(“人生を歌う”、って言うとなんかかっこよくない?って言ってた)
伝染病のように思い出したときに一日中みんなすきにうたを歌っていた。レジデンツを歌うのがしばらく流行っているから私はあんまり聴いたことないけどなんとなく知っている曲が増えた。
みんな月曜から金曜日みたいなテンションでそうとうお疲れなんだなあと他人事のように思った。
私は死にたくなったりしていたけど、生きて、ぼーくの名前はニコチン、チン!って歌っていた方が楽しいなと思う。

誕生日というものは元からずっと特別では無くて
他人のも自分のも、いまだによくわからないし、世界の中心も特別なことは何も無かった
大事だと思うものが、特別だと思っていたものから順番に、どんどんどんどんどんどんどんどん意味が消えて薄いメロンジュースみたいになっていくから
薄まる前に、いっそ飲み干したいよね

私は東京がだいすきだけど、
今週は大阪に行くのが楽しみだなあ。
アメ村はアメリカだから、広いのかもしれないしさあ
ルイードは初めて行くとこだしね、楽しみ!
対バン相手も、ひょっとしたらもしかしてくつがえしてくれたりなんかして、すきになってしまう可能性もゼロでは無いかもしれないじゃない、人生は、何が起こるかわからないから。

おやすみ