あなたのことを深く愛せるかしら

十川十三の四夜怪談-第三夜-

01月13日@高田馬場CLUB PHASE

凶子さんと歌う「都合のいい女」がとても良かった。
彼は、調子の良い男を演じたり、見知らぬ女が出てきたりと素敵だった。
楽しそうに歌っていた。
彼が歌うのに、ぴったりの曲だと私は思った。
これを選んだセンスが仕方なくすきだと思った。
他でも無く彼が、この状況でこれを選んだということに良さを、センスを感じてしまう。
こういうところを、私はすきだと思ってしまうの。

凶子さんが、「昔はタコシェって高円寺にあったわよね」って言ったときの十三先生のぽかんとした顔
タコシェって知ってる?」「知らない」って言ったときすごくびっくりしてしまった。
うそだろ、って声に出して言ってしまっていたらしい。
なんというか、「なるほど」って思った。
そのことの処理が追い付かなくて、しばらくは頭がそれで支配されてしまった。

十川十三の格好は、「又吉」だって。
「天才サブカルブリマン」だって。

君の手だけぎゅっと握ってると強く歌うときに
拳がぎゅうと握られていた。
下の方で、ぎゅうと握られた手をじっと見ていたけれど、何も無かった。


バンド形態は、
ギター クラオカユウスケ
ベース JRさん
ドラム 生虫さん
という俺得バンドだった。
でも、私は十三さんしか観ていなかった。

意外にも
「模造品の灯火」のほうが「小指の歌」よりすきなのかもしれない。
「小指の歌」も最後に歌っていたのだけど、やっぱり私は、この曲に出てくる登場人物の誰ひとりのことも理解できないと思ったし、状況もよくわからないな、と思う。理解っていうのは、「わかる~それな~」っていうことじゃなくて、飲み込めるか飲み込めないかということなんだけど。どうしても、申し訳ないんだけど、ペラさを感じてしまって
「模造品の灯火」は、障害のあることを隠さず生きていきなさいと言われ育ってきた子の歌。
普通になりたいひとのうた。そういう歌。
手の甲をかかげて、小指を折り曲げながら歌う。

帰国子女の母親から生まれ、芸術肌の父親を持つ「ボク」は
人と違う事をしなさいと育てられ、“普通”をすると「あんたそれで良いの」と嘲笑される。
そういう家庭で育ったという話
だから、そうではないアタリマエにあこがれる面もあるという話。
それが、ホントかウソかは置いといて、すごく納得がいくというか
ぶうさんって、普通の人じゃないですか、
いや普通じゃないんだけど、なんというか、普通の人じゃないですか。
各方面からの愛情を注がれて、すくすくと育って、タコシェも知らぬままに大人になったんじゃないですか。
なんか、そういうのを最近ほんとよく感じられて、良いなって思うんですけど
だからこそ、そういうところに惹かれたんですけど、
だから私は
十川十三の意味がずっとうまく理解できなくて
ヴィレッジヴァンガードをばかにする理由もよくわからなくて、人が飛び降り自殺をやめる歌を、どうしてあんなにやさしい声でうたえるのかがわからなくて。
“十川十三”という新しく自分で作ったこのキャラクターは、「軽い気持ちで始めた」そうです。
「こういう、自分の中の…気付いてはいけないような感情…みたいなものを表に出すことで封印というか、しょうか…うん…消化…ですね…昇華、することで、いけない感情を出してしまおうと」
とても言葉を選びながら、丁寧にお話していた。
毒されてしまう、と言うようなことをおっしゃっていて、毒されてしまう前に、あと1回で終わることに安堵していた。
いらない子」が消されてしまうのだと思った。
どうしてそれを「いらない子」だと判断したかは分からないけれど、ぜんぶぶうさんだし全部存在して良いのに。と私は、思う。
全部愛している。
えんそくでは絶対にやらないような曲を、
自分のことでは無い曲、ここにいるみんなではなくて、例えばもう1人のボク、「100人のボク」に対して歌うのではなくて、十川十三は、どこかにはもしかして存在するかもしれない「誰か」の歌、そういうのを歌っているのだって。
架空の歌ということ。それをやっているんだって。
私は、「暗いこと」が「わるいこと」だとは思わないし、「明るいこと」が「良いこと」だとも思えない。
「楽しいこと」が「たのしい」っていうのは、わかるけど。
「わかる」けど、それが良いとも悪いとも思わない。
100人のボク、と言うのが苦しくて、そんなところに苦しくなる自分を情けなく思う。


「冷たい頬」を歌っていた。
悲しいとか感動とかそんなのじゃなくて、どれでも無くて、ただ涙が出そうになったけれど
私の頬は冷たくならずに
ただ空を見つめるしか無かった。
歌詞に詰め草が出てくるから、ああ、と思った。




この一連のツイートは、私に理解できるものは無かったんだけど、今読むと、そうか、とも思える。
冷たい頬って曲は、しあわせで、空虚で、何も無い歌で、ただ生きることが歌われていて、とても切ない。
「僕」が「冷たい頬」に触れることで、すべてが「架空の日々」と化す。
“近づいても遠くても知っていた”、という歌詞がとてもすき。
だって、それがすべてだから。

今の心情にぴったりな、と言って歌っていた

そのあと立て続けて「13階の女」を歌う。
特撮の「13階の女」ですきなのは、始まる時のテレレテレレって音で、それと同じだったからとてもうれしかった。
声が、良くて、恰好が良くて、私は今すぐ13階から飛び降りたくて仕方なかったけれど、そんなことをしたってなんの意味も無いのだった。
強く歌うのがとても良かった。意味があった。
十川は、歌を歌うたび、声を発するたびに、魂が削れるような、そこに想いが重くのしかかっていて、言葉の呪いをかけているのを観ているようで
すべての曲を、強く強い感情で歌い上げていて、「どうしよう」と思った。
そういうのって、どうしようもなく美しいことだ。

十三さんはどうしてああいう顔をするんだろう
声を発していないときの
苦しそうな顔、苦しそうとか一言では言えないような複雑な顔。何かを飲み込む顔。
瞬間が止まっていて、
ときどき立ち止まって、何かに気付いてしまうような、どこも観ていない瞳の奥。
温度がイッキに上がる感じ。
そういうのを観ると、私は本当に、この世のどこにも居ないような気持ちになってどこかへ行ってしまうようだけど、
でもあれすきなんだ
「人間」だという感じがして、とてもすきだ。
でも、この日は、なんだろう、すごく安定していて
これを観ることはもうしばらく無いのだろうと思えた。
情緒が安定していた。