「いい日があるから生きて行こう」

物事への愛が深まるにつれて虚無が大きくなるのは
どうしてもあらがえない「世界」との溝がその分如実に現れるからだろう
くだらない、つまらない、と思う者から順に救われてゆく様をみると
やはり自分は何かの身代わりにならなければならないと思いこんでしまう。
それが「使命」だと強く言い聞かせ、「使命」があるだけありがたいと思いこむ。
うまく生きるためのコツは、自分に「使命」を与えることだ。
死という使命を背負うのをやめると、今度は生という使命が重くのしかかる。
それは、普通の人間ならば普通にこなすことの出来るいたって普通の「宿命」だ。
そんな「宿命」を、「使命」だとかいう言葉で美化するのは、
実にゴーマンな考えなのだと知らなければならない。
この世界の悲しみをすべて引き受けるような「使命」がお前にあるなどと思うなよ。
だがそのように「闘いの日々」と思っていかないと、やっていけない者もいるのだ。
自ら役割を与えて安心するような生き方でないとやっていかれないのだ。
そういう者たちが、世界の片隅にたくさんいるんだろう、ねえ、たくさんいるんだろう
私が「我々」という言葉で語りたがるのは、仲間が“大勢”いると今でも信じているからだ
鋼鉄のマチコじゃないけど。

ネガティヴってこじらせすぎるとポジティヴになっちゃうんだよね。
だから暗い気分のときはとことんまで落ちるといーよ。

物事を直接的に書くのを嫌っていたのはそれがかっこいいと思っていたからだろう
だがそれは「かっこ悪い」ことなので、
このブログをはじめるにあたって、もっとわかりやすく、直接的に、親切に書こう、という決まりを設けた。
「これ」は物語では無いのだ。一編の詩では無いのだ。
いっぺんに死ぬSFでも無いのだ。スペースオペラの主役にはなれないのだ。
誰かの夢では無いんだ。
だが最近はあまり親切では無いな、ごめんね
死にたいというただそれだけの思いを
ありったけの言葉を使って表現している
暗いよなあ

今の私は、病を患っていないと言い切れる
もっとひどい気分を知っているからだ。
君は、眠る度に布団の中で叫びながら朝を迎えたことがあるか?
そうか、そいつは気の毒だ。でも多分大丈夫だから耐えなさい、未来の自分への身代わりをしなさい。
君は、外へ出る度に6階以上の建物がないか探すのかい?
飛び降りよりももっと良い方法があるかもしれないから、別の方法を探そうぜ。
理想の死を探しても探しても探しても見つからなければ、それで良いんだ。
死ぬまでにそいつを見つければ良い。


そもそも私はルサンチマンというものを理解出来ないのだと思う
単純に人を妬み、呪うことの出来るような人間であればすべて問題が無かったのだと思う。
それが出来る人はよほど立派なことだろう。
ニヒリストとかいう言葉ももはやくだらないのですよねえ

「惡童のススメ」がこんなにも素晴らしくて、
聴くたびに疎外感を感じていてもなお名盤だと言い切れるのは、
それが「お気に入り」だからであろう。
それ以外何がいるかな

本質はそこにあるのだろうか
脇道にそれているかどうかも私には判断が出来ない。
今までの道筋を明確には知らないから。

寝室を出なければならない。

生きるというのは、「お気に入りの石」を見つけることなんだ
頭上の石をぶっつぶせ