ワープキメても間に合わなかった

そもそもワープできない
行先が分からなくて、独り途方に暮れる

名古屋での思い出を書こう。
一人で知らない場所を歩くのはすきだ。街並みというものに興味がある。
人や、それ以外が意図せず作り上げた妙な空間がすきだ。それを人は妙では無いと思いながら普通に生活をしている様がすきだ。
愛すべき生まれて育ってくサークル、の感覚に近いのかもしれない。
私はそこまで人類を愛してはいないが。
名古屋の大須にはなぜか60年代風のお洋服屋さんが多くて久々に服への物欲が湧いたが何も買わなかった。
私は服に欲されていなかった。
まんだらけに行ってみたのだが、東京生まれ中央線育ちの私としては満たされるものは何も無かった。
サイン入りの「夜行」が目に止まったくらいなもので、あとは関係無いものばかりだった。
私は東京でしか暮らせないなと遠征の度に思うので、そういうところが遠征の面白いところだと思う。
私は私自身のことをあまりにも知らなすぎて、そういう些細なとこで自分を知っていく感じが面白いと感じる。

大須観音で食べた鯛焼きが大変良かった。
皮が薄く、パリパリだった。もちっとした部分が一切なく、あんこの様子も丁度良かった。好みだった。また食べたい。

インターネットの話をしたのも面白かった。
少し年齢が違うだけで流行廃りがガラッと変わる
時代の変化はめまぐるしい。
コンテンツの消費が早すぎる。ものごとの良い悪いやオンオフの境目がない世界になってしまっている、という話。
を、世代の違う3人でするという不思議
ネットの使い方や頻度も三者三様であるのに同じことを感じている不思議
不思議よねえ
そう感じ無い人が不思議よ。
ツイッターは、悪とまでは言わないが各々の精神の低さが露呈されて大変気持ちが悪くなることが多々あるので観ていて疲れる
一方このようなニュースもあり興味深い
wired.jp
ようするに資料として有効ということであるが
こんなもの残しといて役に立つ未来なんて何があるというのかね

ピアノ・デス・ピアノ

基本的に、生きてあげようかなというスタンスで生きるしかなく
とはいえそんなことを言われましても。
「その日」が来るまで我々は死ねない。とは言ってみるものの。
マリーのように、誰かの身代わりになって生きている場合ではほんとは無いんですけど、
でも私はどうしようもなくそっちの人間で、
絶望にはがんばって耐えたけれど、
高校1年生の時に私は決めたのだ、
世界を見限ってすべてを受け入れた、受け入れることに徹した。

だからもうきっとワープ出来たとしても、手遅れで間に合わなかった。

よく出来た科学は魔法と区別がつかないのだと昔の人も言っているし、
「魔法を信じ続け」ればそれはもう魔法と同じなのである、と言い聞かせてきた。
ペテンをペテンとしないことが我々のミッションだったはずだけどもう疲れた
どこにも居ない自分を探すなど笑止千万
惡という言葉で一斉されてしまう。
詰めの甘さをなんとかしてくれ
頼むよ
私にはここしか無いんだよ

ああ、今日も死にたい
終わりの無い思考に句点はいらない。


ところで乙女国家の新アー写はミスターだけ限りなくダサいと思うのですがどうですか
おろちとJ様の勝利かと思われます。
九龍すきとはいえ川崎ウェアハウスに行く機会が無いんですよねえ。行きたい