タイミングを見失って結局今に至っている

走馬灯ホログラム-東京編-

10月8日 高田馬場CLUB PHASE

・TЯicKY
トリ様ひさびさだ~楽しかったです。
土下座ヘドバンがうれしかった!初めて観たときやっていたのですけど、そのときはただただはたから観ているだけだったの、こういう世界があるのかあって観ていたので、その中に入ってると思ってうれしかった。
ひよこ隊の方々はトリさまの扱いが良くわかってらっしゃってとても良いなーと思います。
トリ様が来たら避ける!トリ様の投げたものを投げ返す!笑
オタサーの姫という曲が切なかった。ツイッターの曲も歌詞が良かったです。曲はクリスマスの歌が一番好みだった。
前はたしかもやしをお客に投げつけていたのですが、今回はオサツチップス投げていました。
あとトリ様のテルミンの根元はなんだ、犬かなんかがついてた。


・The Benjamin
アツいセトリでした。園児歓喜のやつ
祭りだーって雰囲気でうれしかった。
バトルをフィーバーできた、あれはうしろにいても前にいてもバーバラの方々がまんべんなく誘ってらっしゃるのがとっても良いと思います。すきです。バッチグーが良かった。ブザー、バーバラって楽しむしかないやつでした。
ベンジャミンいつも何気に体力奪われるのがおもしろい。ふうじさんだった!


このモザイクはあれだ、Wi-Fiのパスワードだね!笑


・えんそく
アンテナマンからで、とてもうれしくて喜び勇んだ。
テルミンをするミドさんをチラッとみて微笑むぶうさんが愛おしかった。
からの大天使だったので安心がいっぱいになった。
くるくる回りながら観たステージの上では、ユッチャンとじょいさんが向かい合っていた。
7月の、えんそくマイナスの2マンのときの気持ちをちょっと消化できた気がする。
どぐマグうれしかった。ぶうさんが、クラスメイトもバカばっかりで、って、まっすぐみながら言うんだ。
「魔法が使えなくなった」とぶうさんの声が歌うのが私はすきすぎる。
それで、ここで少女戦闘員Mなんだ?っていうのがうれしくて、なんだろう、ちゃんとえんそくはえんそくしに来てたのがわかってうれしかった。じょいさんがバキューンってお客に向かって銃弾を撃つのが観れてうれしかった。微笑みの爆弾だ。
ハコブネに全員を乗せるんだ、負リークスのみなさん、乗りたかったら勝手に乗ってください。
マイナス解凍するまで変なとこ行くなよーって、腕ひっぱって見つめあって、ハート飛ばされちゃう麺の真似してて。
ぶうさんはそういうのほんとよく観てますよね、モニターやカーテン越しにそんなの見えるのかな笑
ぶうさんはまた、「他のバンドで楽しんでる俺らのファンみると焦る!タカがバキューンってすごいなって」みたいなことおっしゃってて、エンジェルさんのことかな?笑
私は、ぶうさんのそういうとこがすきで、対バンのバンドでもなるべく多く楽しむようにしている。ぶうさんが悔しがれば良いと思う。楽しめそうなとこにはつっこんで行く、そのあとがえんそくでも、いくら疲れててもえんそくはいつでも楽しめる気まんまんだから遠慮なく他のバンドが楽しそうだったら楽しむのです。楽しそうだったらの話だけど。
でも能動的に動くのは大事でしょう、そういうのを私はえんそくに教わりました。
最後のえんそくのしゃがむとこでは、「アイアム教祖!」ってぶうさんがおっしゃって腕をばっと広げていた。
楽しかった。
ぶう氏は胸にまだ白くて赤い薔薇をつけっぱなしだった。
さながら、モリヤマのものは俺のものか。ジャイアンか。
(一回手で玩んでたから、もしかして返して無いって気付いたのかもしれない笑)


・マイナス人生オーケストラ
あー、なんだ、感謝祭のとき、すごい楽しくて、今日もお祭り気分で行ったのだけど、なんだろう、セトリがとかじゃなくてもうなんつうか空気が切なくて。
「死は恐るるに足らず、ましてや眠りなど」と教祖が言うのがとても良くて、それを反芻していた。
FREAKS A GO!GO!がやっぱり切なくてすごくすき。キラキラキラって擬音が聴こえるくらいにはきらきらしてると思う。
深く考えないようにしていたけど無理でしたねえー、教祖のジュリセンは黄色でしたかねー、もう思い出せないよなんか。
たばこに火をつけて、吸って、ポイと捨てる動作。
教祖は観ていてとても面白い。目が離せなくなるような演者。
歌うたいは最後、ステージで水銀の海に沈んで行った。首をきつく押さえ、もがき苦しんで。
「声が聞こえなくなったら死んでしまう生き物なんです」
と言って彼は去って行った。
終わったあとの、フロアのお客の表情が印象的だった。あのなんとも言えない表情。


もしもし私、サブカルちゃん

高校生の時のお話
当時お付き合いしていたひととすきなバンドの話をしていて、
でも私はその曲嫌い、って言ったときに「君はすごいね」と言われて、そのときに大人はマジクソだなと思った。
フィッシュマンズがすきだって言ったら褒められたから、マジ信用できないって思った。別れた。
そんなことで私の価値は決められちゃうんすよ、怖くないすか、でも仕方無いんですよ、何も知らないんだもの。
それとはまた別の大人が、エイフェックスツインとミニモニを同列に聴いていて、私はその時それが理解できなかった。軽蔑した。私も所詮は趣味で人を判断するしか無かったという話ですよ。
「大人」になるとは、そういうことなのだなと思って、こえーって思った。
「プロレスはやさしいスポーツだよ」ってまた別の大人が言ってるのも、意味わかんなくて、これが大人か、って思ってこえーって思ってた。
また別の大人は、私が貸したマンガをまだ読めてない~って言っていて、ああ私も大人になると借りたマンガもすぐ読めなくなるんだな、って思った。
その通りだった。

数年後に、アイドルエモいとか言いながら聴くようになるとは思わなかったしV系バンドの同じCDを複数買いするような、すきなバンドなのに曲のタイトルをうろ覚えにしてしまうような、そういう「大人」になるとは思わなかった。
というかまあ生きてると思わなかったから、大人もなにもないけど、とにかくそういう「クソ」はこえーって思ってて、思っていたけどな、っていうのを思い出した。
クソにはクソなりの理由ってものがあるのだ。ただクソなわけでは無いのだねー、それが「信念」だという場合が存在することも知らなかったの「子供」だったから。

嫌いなものを嫌いだと言えるようになりなさい
いいよねーそういうひとがすきー、すきなものだけみるのは駄目だよ、嫌いなもんは嫌いって言えるくらいはみなくちゃ。みなくちゃというか、そういうものを観なきゃいけない状況にあるっていうのがやっぱりなんていうか。うん。とってもマッケンロー。
私は嫌いなものを避けて通りすぎてもはや嫌いなものなんて無いような錯覚をしているだけだ
すべてを受け入れたような気でいるだけだ。嫌いなものの存在を認めたくないからちょっとでもすきになれそうとか思って愛そうとしようとしてしまうだけだ。ペテンだペテン。
自分には、「避けて通れる道」があることに感謝するべきなのだと気付く
周りが見えていないのは生まれつきなんだけど、最近それがよくわかってきた。
自分がどれだけ恵まれているのかと気付く、自分は普通なのだとずっと思っていたけど、どうやら分類としては「サブカル」らしいと、最近会社で会話をしていて気付く。「そうじゃない人」としゃべってなかったから、わかんなかったんだ。
な、生ぬるいでしょう、
周りがちょっとずつ見えてきたのはおとなになったからじゃなくてえんそくに出会ったからだと思います。
自分のことすげー客観視しているつもりだったのだけど。笑えるな。冷静じゃないな。
赤ちゃん人間だからこれからもあばあば言ってるけどでも自分の何も見えていなさの加減が思っていた以上なんだなというくらいはなんとなく気付いた。

俺みたいになるなよ~っておーけんかよって
何様だよって

なんか書いておいた方が良い気がしてばーってかいたけどいらんこと書いた気がする。
もういいや、ねよねよ。ツイ消しは甘えだっていうし。ねよっ。

さあ眠ろう、そして起きよう。明日のために。
えぐり込むようにして、打つべし打つべし!
戦いの日々だ!