100年前にもきっとこのわたしと同じような気持ちになった誰かがいた

昼間の
人の少ない電車に乗って銀河鉄道の夜のサントラを聴くとどこかに行っちゃいそうで良い。
別離のテーマを聴きながら雑踏を歩くと、自分がどこにもいなくなっちゃったみたいで良い。
細野晴臣キセルはいつも、その空間の空気をかえるのですき
空気の質感が変わる音楽や人がすき
そこにいるだけで、蒼波さんとか、空気が変わるじゃない、ああいうのがすき。

今日はむしゃくしゃしていたのでジュンク堂で買い物をした。
ずっと買わずにいた欲しい本たちをたくさん買った。高くてでかくて重い本たちを何冊も買ってやった。
重かったけれどがんばって持って帰って、それで満足した。
2万もいかなかったから、そんなものかあと思った。
でかくて重くて字がたくさんだから読み切れないなあ

今日眠るときは、眠るという行為そのものについて考えながら眠ろう。
前はよくそうしていた。
ひとというのは、自分のことなど考えるから眠る前に苦しくなったりなどするのだ。
人間だからそういうのって仕方が無いが、そういうときは自分の思考をぽんと別の場所に置くと良い。
だが、私はそれが子供の頃からきっとくせになっているから、そうしてはいけないときにもどっかに行ってしまうときがあって良くないなあと思う。
でも今日は眠るときに「眠る」をしよう。
枕に頭を乗せるときに、一番良い塩梅になる場所を探し出す。
寝ころんだ身体の、全身の形を意識して布団に沈める。
自分と布団の境界が曖昧になるまでそれを続ける。
今夜はどんな夢がみれるのだろうか、とそれだけを夢想する。
まあうまくいけば明晰夢のひとつでも観れるかもしれません。