歌い笑いしたいように舞う

本日2回目のブログ

今日は帰ってからいろいろして昨日の感想を書いて
少し寝て
起きたら絵を少し描いたり音楽を聴いていただけで終わった。

明日死ぬとしたら何を食べるか?という問い
人生において誰かしら大体聞いてくるスタンダードな質問ではあるが、私はいつも全然そんなこと考えたことがなくて、回答にとても困る
今は断トツであれですねえ…ピエール・ルドンのバラの香りのするチョコ。
でもあれバレンタインのときにしか食べれないのですよね、毎回デパートへ足を運んで自分のためだけに購入してる。
「うっとり」する味がするんです。

なぜだか私はバラの香りがすきで、
あと形も、バラとか菊みたいな花がすごくすきなんだけど、なんつうかなあなんかとんがっているじゃない、それなのになんだかふんわりしているじゃない

でも基本的に花はあんまりすきじゃないな、昔からだけども
花を贈られてもこれっぽっちもうれしく無い、花は綺麗だが 花って孤独でしょう、人に贈るものではないかな、自分で買ったり育てるものかなと思う。

明日死ぬのか、と言われたらそれはまあ9割は死ぬわけはないですけど
誰だって明日死ぬ可能性はありますでしょう、自分にだってありますでしょう、
死ぬのはいつも他人ばかり、とは限らないのです。
後悔しない生き方だとかそういうことを言っているんじゃなくて
なんていうかな、もっとこう“その金属のカプセルみたいなものになればいい”的な、、
と言って何人のひとに通じるのか

なんとかしなければならないと去年思っていた。
このままでは本当に死んでしまうのかと
次は自分が死んでしまうんだという思い込みが去年まではまだありましたね、
今はそういう風には思わないけれども


デザインにあまり興味が無いから
デザイナーという仕事を続けていられるのだろうと考えるのですけれど
(もちろん、本当に興味の無い人に比べたら随分ある方ですが)
それでは駄目だと分かっていても
知れば知るほど、かつて自分の思っていた「デザイン」とはずいぶん違うものだなと思う、
デザインは結局、すべてじゃないですか、モノそのものに対して、デザインはすべてじゃないですか
私は、
必ず手に入れる、天下も、お前も… とは思わないですよ
ほんのちょっとでいいんですよ居場所なんて、無くても構わない。中学生のときはずっと郵便局で働きたかったんですよね
工場とか、そういうずっと同じ作業をしている場所が良かった。
それを昔デッサンの予備校の先生に言うと、すごく蔑んだように、「そんなの明日にでもなれるよ」と言われたことを思い出しますね
絵を描く、ものを作るという行為に何か幻想を抱いていらっしゃるのかなこの方はと思いました。
ものなんて誰でも作るじゃないですか、「モノづくり」みたいな言葉がすごくきらい
ものは、みんな作るよ。もっとこうなんていうか
ものをつくるってのは生きるのと何が違うのかよ、生きてりゃ大体みんな何かを作るだろうが

脱線したな
デザインってじゃあどうだと思っていたのかな昔の自分は
う~ん 職業でしかないな