植物や街や星や人間や

昼飯

・季節の3色おこわ
・贅沢倶楽部の苺ミルク

文字

ただ文字を綴り続ける
見るもの、読むもの、聞くもの、聴くもの、いろいろあるけれど
それは人ならばたいていの人はする行為であって
人というのは「必ず」死ぬのだ
「必死」であればあるほど死は近くまた生も同等に近い。
死だけが近いということはない。そう感じているのならばそれは
死が最も遠くにある状態だ。だがそれは「無」ではない。
人は「無」には決してなれないように出来て居る。

世界の墓地からこんにちは

殺伐が足りていない。
突き放してもらわないと困る。

永野倫子さんのこと考えていた
とはいえ大体いつも考えているけれども。
もうすぐ一年がたつ、永野さんがこの世に現れてから。
もっとはみだして良いのにと思う。
ずっと応援している。できれば見えるところで。

今日はほぼコピペでカチカチしていて腕が痛いのです。
明日には肘をまっすぐと伸ばし、健康な私が登場することでしょう。

新世界の降りは腕をぐっ!とガッツポーズのようにする動作が多く格好良い。

日々は劇的であるか、
また靴を買ってしまった。服を買うべきであったのに。だがプーマのディスクでないと履けないビョーキなので、あればあるだけ良い
持ち合わせがなくとも、それはどうでも良い
お金は使うものだと教わった。貧乏と貧乏くさいには大きな違いがある。

今電車で隣のおねえさんがわたしの左腕に完全に寄りかかっている、とても眠いのでしょう。お疲れ様です。でも、頭上がくさい。
その隣で私はブログを書く。