ボクから呼び出してみないと

肉フェス さいたま新都心 2018

10月4日@さいたま新都心 けやきひろば

お肉は、ガーリックのったやつ、炙り寿司、チーズかかったやつ、をみんなで食べた。ぜんぶおいしかった。
色々なステージをみた
古川さんの「最前」のイントネーションや、問題の作り方が良かった。

・三上編集長のお話
大変良いお話だった。それを真剣に聞くぶうさんがかなり良かった。
主にUFOと宇宙人の話をしていた。日本人に似ているなど。
ぶうさんはぶうさんだったとしか言いようが無いんだけど
話きくのも上手だったしそれに対してちゃんと自分のことと絡めた質問をしていてそれがすごく頭も回っててあとファンもにやにやする感じだったから良かった。高尾山とか。
司会者の人にいろいろ突っ込まれててやりにくそうだったけど司会者のひとはぶうさんに話を振ろうってしてくれていたのだと思う。
ぶうさんは、真剣に話を聞いていて、次につなげるときの言葉を出す前のああいうときの顔がすごくすき。まあ単に「真面目な顔」なんですけど。
あとここは三上編集長のコーナーだから、っていうのを徹底していた感じが良かった。
うん、全部良かった。


・武良信行さんのUFOを呼ぶコーナー
武良さんめちゃくちゃ良いよね~テレビでみたことあってこの人めちゃすきだな~って思ってたからやっぱりめちゃすきだった。たけしさんの番組に出たことがあるという話を得意げにしていたの良かった。それ観た〜知ってる〜って思った。
SINさんがUFOに興味津々だった。
ミドさんがしゃべったら司会の人に「君はしゃべると一番まともなんだね」と言われていて良かった。
UFOはなんかいっぱい来たような感じになった
どんくさいので「許可書」もらえなかったら友達がくれたので良かった


・えんそく
前のコーナーから引き続いて、U.F.Oが来るまでで綺麗にきっと始まるはずで
でも機材トラブルが結構あって、マイクも全然きこえづらくて
なんだけど、すごく良いライヴだった。
1999年のブルースが始まる前のMCで
人生変わっちゃうような何かにいつどこで出会えるかなんて分からなくて、その何かが今日ここで、そしてそれがえんそくだったらいいなとゆうようなことを言っていた。
1999年のブルースは、なんていうか
言葉にできないことがたくさん思い出されて、楽しかったたくさんのこととか、ここにもう居ない人のこととか、ここでぶうさんがいつも「どこにいるか教えてくれ」って拳をあげていたのがすきだったなとか
そういうのを思い出しちゃったのももう駄目だったんだけど
この日このセトリのこの並びで、この時にやるべき曲だと思ったから、それがすごく良かった。全部がピッタリだった。
セトリが神がかっていた。良いセトリっていうのは、曲がじゃなくて、流れが素晴らしいんだ。その日1日の空気とかそういうもの。編集長とのお話や武良さんとUFOを呼ぶこと、なんなら前回や前々回のライヴからの流れとか、この曲を作ったこととかもひっくるめて全部が、大事だと思うから、だから、セトリだけみたってわからないことがたくさんある。
テーマとよく言うけれど、それがきっと自分達の中で、ちゃんとはっきりしている時ほどすごく良くなる。
とにかく、U.F.Oが来るまでからの1999年のブルースという流れは、これでしかないなというものだった。
大天使で何か良いこと言ってたくさいけどマイクの音が小さくて何ひとつきこえなかった。もっと遠くだったら聴こえてたのかも。
そして、時間が少しあまったとのことで、もう1曲アンコールでU.F.Oが来るまでをやった。
それがすごく、良かった。最初から示し合わせたかのように良かった。2回やったことも、ぶうさんのテンションも。
ここ最近で一番、私のすきなぶうさんだった。

「感無量です」
「何度も肉フェスには出てるけど今日は特に特別でした!」



そのあとクイズして、UFOを呼ぶ儀式もした
クラオカさんがずっと写真撮れなかったのが面白かった

私は一足先に大好きな春で待とう

朝起きるのが日に日にミクロ単位で辛くなることに気づいてしまって
それは多分やばいやつだから、知ってるこれやばいやつだって、何度も何度もなったことがあるやつだからって。だからどうにかしよう今度も大丈夫慣れてるどうにかしようってたくさん考えて、考えてる時いつも胸の中が真っ黒になって真っ黒でたくさんになって車や電車じゃきっと死ねなくて高層ビルから落ちるにはどうしたら良いかいつも考えててそれからビルを見上げるといつも次第にそれらが放つ光とかそんなものにしか興味がなくなって空っぽになるからそうやって階段を降りたり登ったりして家に着く頃には灰色に薄まって何も無かったみたいになる
なんだっけ?
まあいいか
そしてまた朝になってミクロ単位で時計がズレてく朝の起き方を1つずつ試してはあれもダメこれもだめ、あ今日は30個目の起き方で起きれた、みたいな朝をむかえる
起きようとするのがえらいなぜならそれしか私には無いからそれをしているにすぎない。それというのは生きるということ、明日も明後日も朝起きて生きてまた眠るという事だ。そういう選択肢しかない。
自分の顔がすきになれないから化粧がつらい、だから色々あれこれテーマやルールを決めておいてそれにチェックをつけていく、そういう感じにする。
なんか今たぶんストレスが多分3倍くらいある、そしてそれを解消するすべが圧倒的に少ない
ストレスがあるかどうか私は自分で分からない。なぜなら生きていてストレスがない状態を知らないからだ、ということに気づいたのはいつだ、大人になってからだ、大人ってなんだ。
ストレスがあるかどうかがわかるのは顔に吹き出物ができたり胃が食べ物を拒否する回数が増えたりするときに分かる。身体は正直なのだ。身体は正直というのなんだかエロマンガの台詞みたいだね。私がそういうことを言うと大概ビックリされるのでやめよう。言わないけど。
昔、私が「くそが」とか「ふざけんな」と言うととても喜ぶヒトがいて、なんでかと言うと私がそういった汚い言葉を使うと思えないからだと言っていた、だから私はたまにそいつのまえでわざとそんな言葉使いをほんの少ししてみせる時があった。
汚い言葉といえばこないだバイトに来ていた人が他人に対して「クソ地雷女」という表現をしていて私はそれをきいて本当に無理だなと思ってしまってそういう無理だなという瞬間があと100回くらいあったから、職場というのは仕事が出来ることよりも人としてやっていけるかの方が100倍くらい大事だっと思う私は。なんか、違うらしいけど。
こうやって毎日今度こそもうダメなんじゃないかと思う一日の終わりに毛布と一体化して永遠に夢の中に居たいと願いながらまた無理やり朝をむかえてはひとつずつ何かを破壊していく。破壊していかなければならない。破壊と衝動こそが生きている証だ。
首を吊ればきっと死ねることも知ってるし死ねなくて助かっちゃうこともよく知ってる。
生き延びるために必要なものなどない
100個目の「金属のカプセルみたいなもの」を集めたところでまた振り出しに戻るのだ。じゃあ詩を詠みなさい。日記も書きなさい。他人にたくさん迷惑をかけなさい。
こうやって垂れ流した思考を読む誰かがいることを、私はとても気の毒に思う。

水木金じゃまだ早い

私が毎日死にたいのは変わらない
どうしようもないけど

昨日
あさ高円寺でごはんをたべた
その後多摩センターへ行きアイドルのライヴをみた
そしてまた高円寺へ行きヴィジュアル系のライヴを観た
帰りは4人でごはんをたべた

この4つの出来事
考えるべきことが多くあった
高円寺の喫茶店でごはんを食べたことは私にとっては重要だった
わざわざ多摩センターまで一緒に来てくれるということも重要だった
高円寺でライヴをみたことも重要なことだった
夜ごはんを食べたメンバーも重要だったし

ただそれらを、どうやって書いたら良いのかは分からない
宇宙はひとつじゃない
というのを
どうしても書けなかった。

今日はタイフウが来るような感じだったくさいし家にずっといた
家にずっといて
何もしないをしていた
布団に入ったり出たりしていた
12時にメールをした。
ごはんもちょっと食べた。

夜はマシになったから
インターネットをした。

世界が止まっていた
ような感じだから
こうして毛布のように
なっていくのだ私は、と思う
それを悪い事とは思わない
歳をとるとシンプルな考えができるようになる
ような気がしてるけどそんなことはきっとないのだと思う(一般的な人と比べると)。
ただ、「若い」考えの複雑さ幼稚さを「ばかばかしい」と言えることはできる。
言えることはできるが、それを、良いとも悪いとも言っていない。
私はものごとに対する諦めが強いので
こうして今まで生きていくことができたのだ
こうして毛布のように、ただ薄汚れて、ゆくのだ。
消えてなくなって困るような重要な自分はそこには無い
死にたいという言葉に「早く」という言葉がつくこと
それは呪いだから、やめてはいけない。