どうも俺は長く生きていけないような気がするから

私は、100年までなら待てるがそれ以上は待てない。

SNSに「死にたい」と書くことは悪いことだろうか

「それ以外」の思考で埋めていく作業
だんだんと明日が近くなる感覚の下を通っている感覚の明日
まるで今日になる明日
平成最後という言葉おっかないよな、何いってんだという気になる
明日も今日も今日しかないのに

白い爪にあこがれていた
夏のような日に夏のようなことをする
知らない道を通る
死なない君を想う
裏側には海がある

昨日の明日が今日になる明日
カーテンのしわが何かにみえる
何かを具体的に言葉にしてはいけない
何かになる
眠りにつく前に目をつぶされる
言葉ならそこにある

あらゆる
昨日の果てにやってまえりましたね
そこにある
私ならテーブルの下に
お前が死んだとき、そこに隠したのだ

明日だ、明日を探そう
どこにもないものを探すのはむつかしいがきっと

夢みたいな大きなビーカー

定期的に立体物を作りたくなるが具体的な形が思い浮かばない
というか、私はいまだに自分が一番「合っている」と思うものが見当たらないように思う。
絵、文章、漫画、4コマ、詩、俳句、映像、立体、デザインとか、他にもたくさん、どれも100パーセントというわけにいかない。
4コマが一番「近い」と感じたかも、俳句も可能性があるが、可能性がありすぎてそこまでいくのにちょっとめんどくさくなってしまった。
マンガが一番むいてないように思った、あれは、1つの時間軸しか存在しない。
一方、4コマという形は、もっと自由に感じる。

今日は、具合があんまりよくなかった。
結果的にそう思っただけで、なかなか気付かなかったが多分そうだった。
やたらと疲れてしまった。
今週はもうだめだ。

明日のことを考える、明日のことを考えるんだ
どうやって
こうやって、毎日ブログを書くんだ。

無理もないそれが夏休み

今日はまだお盆休みのようだ。
朝電車が空いていて丁度良い。
人の少ない電車は「夏の朝」を感じやすい。
小さい頃、早起きをしてよく海へ連れて行ってもらったということを思い出す。車だけど。
人のいない世界に起きるのは大変心地良かった。
とはいえこちとら仕事である、「何がお盆休みだ」という気持ちでしかない。
電車がすいているからなんだというのだ。

殺伐ばかりだ。

あやかさんってみんなから「あやかさん」ってさん付けで呼ばれててなんかそれがかっこいいなとこないだ思った。
そして、青森にはサイゼリヤが無いらしい。


内外 - 続思い出地獄

じっさいに会ってみるとその人が何を考えているかなど何時間一緒に過ごしても文字にして一文字分もわからないのだということがわかってびっくりする。
そしてそのことは素晴らしいことだと思う。目の前にいる人間というのは考えていること以外のあらゆることを丸出しにしてそこにいるのだ。

こういう感覚がとてもよろしい。
思ったことをすべてインターネットに書き込んでしまう人については定期的に考えるが、
それはきっと、生まれた時代とその環境によるものが大きいのだ、多めにみてやらねばならない。


あのな、良いことなんて一つも無いぞ。
無いけどな、だからなんだというのだ。

それではまた明日。
明日も、良い1日に違いありません。